創業物語 プロフィール
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  第45話    「出資者を求めて東奔西走」 2001/6/18  
引き続き1997年10月下旬。

会社を作るための最低資本金が、1000万円。
現在手元にある金額が(兄からの出資分もいれて)200万円。
あと800万円を、なんとか調達しなければ会社を設立することができない。

ボクは昔からの仲の良かった友人を中心に、ひとりひとり連絡をとり、新会社
の事業計画を説明し、いずれ利益が出たら配当することを約束し、出資者を募
ることにしたのです。

いちばん多く会ったのは、大学時代の同輩・後輩。

「俺さー、会社作ることにしたんだ。ついてはお前に株主になって欲しいんだ
  けど…ついては1株でも2株でもいいから、出資してくれんだろうか!」

いつもは、ヘラヘラとふざけていたボクが、かなりの真面目モードで迫ったこ
ともあってか、

「わかった、お前が会社作るんだったら、なんとか協力するよ!」

と、会った友人ほぼ100%から出資の約束を取り付けることができました。

1株で5万円、2株で10万円の出費。サラリーマンにとっては、極めて大き
な金額です。しかも、返ってくる保証は(その時点では)まったくと言ってい
いほどない。

また、この年は、橋本内閣の失政により、景気が奈落の底に落ち始めた時でも
あり、企業の倒産が相次ぎ、経済の先行きが非常に暗い頃だったのです。

それにもかかわらず、みんな出資を快く引き受けてくれたのです。
人数にして、約10数名。
感謝の言葉もありませんでした。

しかし、それでも集まったお金は、まだ300万円程度。

「んー、まだまだ前途多難だな~」

この時、救世主となってくれたのが、現在、パフの協賛企業でもある株式会社
オプト社長の鉢嶺さん。

オプトは当時、FAXを利用した営業・販売支援企画を企業に提供しており、
ボクは、「登龍門」の販促を通じて、お付き合いをさせてもらっていました。
同時にオプトの新卒採用を「登龍門」を通じて行ってもらう関係でもあり、鉢
嶺さんとは、かなり密なお付き合いをさせてもらっていました。

この時、鉢嶺さんは29歳の好青年。大学卒業後、ある大手企業を経たのち、
会社を設立・成長させてきた、若きベンチャー経営者でした。


釘 : 「鉢嶺さん、ボクついに会社をつくることにしましたよ!」

鉢 : 「へー、おめでとうございます。よく思い切りましたねー。
       いやー、釘崎さんが会社をつくるなんて、楽しみだなー…。
       で、株式会社ですか?よく資本金を用意できましたねー」

釘 : 「い、いや、それがまだそれはこれからで…」

鉢 : 「え?あ、そうなんですかー…。
       よし、わかりました。じゃあ、ボクが出資してくれそうな
       ベンチャーキャピタルの方を紹介しますよ」

こうして、話はトントン拍子に進んでいき、数日後、起業家支援を手がける
ベンチャーキャピタルのオーナーの方と面談することになったのでした。

                  (1000万円までの道程は遠いなー…つづく  )

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