創業物語 プロフィール
バックナンバー一覧へ
 
  第02話    「ゆふいん」 2000/08/06  
大分県の観光都市別府から、車で山道をクネクネと1時間ほど走り続けると 狭霧の彼方に、情緒豊かな盆地風景が広がってきます。

この盆地こそが、僕が小学校~中学校の少年期を過ごした「湯布院町」なのです。

熊本の人吉温泉で板前をやっていた父は、昭和41年11月下旬に、職を移すために、一家を引き連れて、この湯布院に引っ越してきたのです。

当時、僕は幼稚園児。
当然、湯布院の幼稚園に通うんだろうなー、と思っていたのですが、小学校入学まで間もないということで、「わざわざ通わんでも、よかたい!」という親の非情な判断で、あまり聞かない「幼稚園中退」という悲しい学歴を僕は背負うことになりました…。
(僕には自覚がありませんでしたが、当時、我が家は相当な貧乏でした。)

ともあれ、小学校入学までの数ヶ月間、僕はプータロウ状態。

友達が誰ひとりとしていない、孤独な6歳の冬を迎えることになった訳です。

湯布院は、標高が500メートルほどの高地で、九州とはいえども、ものすごく寒いところなのです。特に湯布院に移り住んだこの年は、12月から連日雪が降っていたのを覚えています。

湯布院には、由布岳という実にきれいな山があります。標高1583Mの高さで阿蘇九重連峰のひとつなのですが、その美しさゆえ、「豊後富士」と呼ばれていたほどの山です。

この由布岳が雪化粧につつまれた景色は、幼かった僕の目にも非常に感動的 に焼きついており、「幼稚園には行けないけど、いいところに引っ越してきたんだなー…」と感じたものです。

ところで、僕には5歳年上の兄が一人いて、当時彼は小学校5年生。
兄はさすがに、小学校中退というわけにも行かず、引っ越した後もすぐに学校(由布院小)に通い始めていました。

その兄が当時言っていたのを覚えているのですが、
「湯布院はなー、言葉が熊本とはぜんぜん違うとバイ。」
「熊本の言葉で友達にしゃべってもな、なーんもわからんとバイ。」
「なんかなー、みんな喧嘩ば、しよるごたるとよー。」
「よーしゃべりきらんバイ。」

数ヵ月後、兄と同じ由布院小学校に入学することになった僕は、その言葉の違いに散々悩むことになるのでした。

つづく

<<  前のコラムへ 次のコラムへ  >>
 
バックナンバー一覧へ