創業物語 プロフィール
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  <第01話> 「最初の出会いは産婆さん?」 2000/07/30  
昭和35年11月30日。

これが、パフの創業者、釘崎清秀がこの世に命を授かった日であります。

熊本県八代郡坂本村の「鶴の湯」という木造3階建ての旅館で、産婆さんの手によって取りあげてもらったらしいです。
(この旅館は、母の実家であり、板前をやっていた父は、この旅館で調理の手ほどきをしていたことが、僕の両親が結婚するきっかけだったとのこと)

4歳までは、熊本県八代市日奈久というところで過ごしました。
当時街には馬車が走っており、馬の糞が道に転がっていたことと、名産だった「ちくわ」を人差し指に突っ込んで、おやつとして、よく食べていたことを覚 えています。

そうそう、4歳のころの思いでとして最も記憶に残っているのが、昭和39年10月10日から始まった「東京オリンピック」。正確には3歳10ヶ月の頃なのですが、結構よく覚えています。

「パーン、パーパパパーン、パーンパパパパパパパパパーン…」という、
幼心にも「何かスゴイことがはじまるのかな・・・」とすごくワクワクさせるようなファンファーレの音は、ずっと脳裏に染み込んでいます。

5歳から、父の仕事の関係で、同じ熊本の人吉というところに移り住みました。
幼稚園は、この人吉の「葵幼稚園」というところに普通の乗り合いバスで通園していました。

今はバスというとワンマンで、100円玉を機械に入れて乗り込む無味乾燥な乗り物なのですが、当時のバスというのは、黒いバッグを抱えた車掌さん(記憶にあるのは必ずキレイなお姉さん)が同乗しており、「発車オーライ!」という明るいかけ声とともに走り出す、実に楽しい乗り物でした。

乗車口では「おはよう!(ニコっ)」という清々しい挨拶とともに、堅い厚紙の切符をハサミでパチッと切る凛々しい姿には、たいへん憧れたものです。

だいたいこの頃から、記憶がはっきりしており、自分の行動やその時の感情等もある程度正確にお伝えできそうです。

この頃大好きだったテレビは、なんといっても「ウルトラQ」そしてその後番組だった「ウルトラマン」です。あと、「オバケのQ太郎」も好きだったなー。

「ウルトラマン」も「オバQ」も日曜の夜のテレビだったんだけど、これを見終わると「青春とはなんだ!」という青春ドラマをよく見てました。

この頃のテレビは白黒テレビで、写りも相当に悪かったはずなのですが、僕はかなりの「テレビッ子」で日曜日は朝から晩までテレビばかりを見ていたような気がします。

そうだなー…あと流行っていたのは、藤田まことの「てなもんや二刀流」とか、アニメでは、「ジャングル大帝」、「鉄腕アトム」、「鉄人28号」、 「宇宙少年ソラン」、「スーパージェッター」、「エイトマン」…。
「ひょっこりひょうたん島」もこの頃のNHK連続人形劇だったな。

考えてみれば、僕の5歳前後の1960年代中頃というのは、今見ても非常にレベルの高いテレビ名作が多かった時期だと思います。

そう、「ビートルズ」が日本に来たのもこの頃でした。
パフの社名の由来になっているPPM(ピーター、ポール&マリー)のヒット曲「Puff」も、実はこの頃リリースされた唄なんですよ。

つづく
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