釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第146話> 「マングローブ社長の今野さん」   2007/10/29  
 
ここ数回のコラムでは、パフのことを社外から応援してくださっている方々の ことを書いてきた。今回はその締めくくりとして、この方のことを書こうと思 う。最初にお会いしてまだ1年半しか経っていないのに、ずっと以前からの友 人だったような錯覚に陥ってしまう、そんな人だ。

その人の名は(もったいつけることもないのだが)、株式会社マングローブの 創業者であり社長の、今野誠一さんだ。

今野さんは、僕より2歳年上。岩手県の高校を卒業してすぐ、リクルート(当 時は日本リクルートセンター)に入社した。リクルートで教育事業や、総務の 仕事を経験したのち、関連会社のリクルートコスモス(現コスモスイニシア) に移る。リクルートコスモスでは、バブル経済、リクルート事件、バブル崩壊 等など、激しく辛い時代を、総務・人事の責任者として過ごした人だ。

そして今野さんが、マングローブ(創業時はカ―ぺ・ディエムという社名)を 立ち上げたのが、今から9年半前。僕がパフを立ち上げた時期とほぼ同じだ。

今野さんのことは、書籍などを通じて、お会いするずっと以前より存じ上げて いた。いちどお会いしてみたいとずっと思いながら、なかなかその機会を得ら れずにいた。

前回のコラムに登場したパフの前取締役だった板さん(板倉正弘氏)が、ひょ んなことから、「そういえば、マングローブの今野さんを今度紹介しますよ。 たぶん、釘さんとは気が合うと思いますよ」と言い出した。それが1年半前の ことなのだ。

2006年6月13日。板さんとふたりで飯田橋にあるマングローブの本社事務所に 伺った。

「どうも、初めまして!」と登場した今野さん。ずいぶんと背が高いことに驚 いた。聞くところによると、183センチあるとのことだった。

応接室で軽く談笑したのち、社員たちが働く執務室を覗かせてもらった。ここ でまた驚いた。温かい空気が部屋の中に充満しているのだ。初めて入室した僕 と板さんを、社員の皆さんが、うわべではなく、心から快く、温かく迎え入れ てくださっているのが伝わってきたのだ。

「こりゃすごい。やっぱり今野誠一という男はタダモノではないな」と僕が最 初に思った瞬間だった。

その後、飯田橋の居酒屋で、今野さん、板さん、僕の3人で食事をしたのだが、 そこで分った事実にまたまた驚いた。

今野さんもフォークソング小僧だったのだ。しかも、僕のような中途半端な小 僧ではなく、一時期は、本気でレコードデビューを考えていた、本格派の小僧 だったのだ。そのことがきっかけで、一気に話が弾み、今後事業面でもパート ナーシップを構築していくことになったのだ。

いい加減といえばいい加減だが、世の中の人の縁とは、まあそういうものだろ う。

以来、今野さんとは深いお付き合いをさせてもらっているのだが、特筆すべき は、パフの新人事制度の構築での関わりであろう。

まずは今野さんに、パフで働くすべての従業員のインタビューを3週間かけて 熱心にやっていただいた。現在の組織や従業員に潜む問題や課題を、ひとつひ とつ丹念に洗い出してもらった。

そしてその後、約1ヶ月かけて今野さんと僕とで、ふたりだけののミーティン グを行った。平日だとお互いの時間がとれないため、土曜日や日曜日に集まっ て、長いときには1日6時間にもおよぶ議論を行ったりした。

とんでもない労力である。僕が無理やり拝み倒したとはいえ、今野さん自らが、 ここまでどっぷり入り込んでくださるとは…。とても光栄なことだった。

世の中の一般的なコンサルタントというのは、『カッコいいプレゼンや評論を 行うわりには、肝心の現場に入り込もうとしない』というイメージがあるのだ が、今野さんのコンサルのスタイルは、とことん現場の課題に踏み込むという もので、それまでのコンサルのイメージを完全に覆すものだった。

さらに圧巻だったのは、今野さんにやってもらった研修。パフの新しい組織や 制度や方針を、全社員にすり込むべく研修を1週間連続で行ったのだが、その プログラム作りだけにとどまらず、自らファシリテーター役まで引き受けてく れた。まさに「プロ」。(僕が言うのはとても生意気だが)実に見事なファシ リテーターだった。

きっと今野さんには今後もずっと、パフの根っこの部分からの良き理解者とし て、様々なシーンで助けていただくことであろう。 ひょっとしたら、舞台の上で、一緒にギターを弾きながら、フォークソングを 唄う日も近いかもしれない(笑)。

ということで97番目の出会い。マングローブ社長の今野誠一さんでした。
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