釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第145話> 「パフの取締役だった板さんとオオバさん」   2007/10/22  
 
今回の登場人物は、2006年3月から2007年9月までの1年半に渡って、パフの 取締役(非常勤)を務めてくださった板さんこと板倉正弘さんと、オオバさん こと大場京子さんである。

板さんとの最初の出会いは、2005年の春だった。パフの創業に裏で深く関与し たM井さんからの、

「パフを救ってくれる“足ながおじさん”のような奴がいるから紹介するよ」

という、ややいい加減な紹介のひと言がきっかけだった(実際に会ってみたら、 僕よりずっと短い足だった、笑)。

板さんは僕より2学年下なだけなのだが、研究医になりたくて国立大学の医学 部を目指し2年間の浪人生活を送っていた(結局は医者はあきらめて自宅から 徒歩3分のところにある大学に行ったらしい)ので、社会人としての正式なデ ビューは、僕より3年遅い。

新卒で、僕が学生時代に営業マンとして働いていたR社に入社し、営業や関連 会社の営業企画を経たのちに、M井さんの部下として人事の仕事に携わるよう になった。

M井さんが僕に板さんを紹介しようとしたのは、板さんがR社を辞めて「しば らくはフラフラしようと思っている」ということを聞きつけてのことだった。

板さんのことを知るR社の人たちに板さんの評判を聞くと、皆が口をそろえて、 「あいつは相当に頭の切れる奴だよ」という言葉を返してきた。こりゃ、パフ の仕事に巻き込まない手はないな、と僕が判断した理由だ。

とっかかりは、週にいちどの営業会議に参加してもらうところから始めた。そ れまでは、あまりロジカルではなかった会議が、板さんの加入でロジカルにな っていった。営業の視点と、人事の視点の両面を持っている板さんならではの、 ロジカルシンキングを教えてもらった。


オオバさんとの最初の出会いも、やはり2005年の春。当時システムで、痛い目 に遭っていたパフのことを心配した僕の兄貴が、

「パフを救ってくれる“システムのプロ”のような人がいるから紹介するよ」

という、(こちらは、かなり信頼できる)ひと言がきっかけだった。

オオバさんも僕より少し年下。板さんよりも年下なのだが、板さんより社会人 デビューは1年早い(女性なので年齢を推測させる記述はここまで)。

新卒でR社に入り、出身地の名古屋に営業として配属されたのだが、半年ほど で本社のシステム部門に異動となり、以来、一貫してシステム部門を歩むこと になった。

(僕の兄貴が社長を務める)関連会社のシステム部長を最後に、会社を辞めて 独立することを決めたという。そして「それなら…」ということで、兄貴が僕 に紹介してくれたのだった。

オオバさんには、パフの「システム統括」の役割を担ってもらった。パフが抱 えているシステムの問題点を整理してもらったり、これから開発しなければな らないシステムのプロジェクト管理者の役割も担ってもらった。

・・・・・

このようなキッカケで出会い、パフの仕事に携わってもらってから一年弱の日 が過ぎた2006年の年明け早々、お二人に正式にパフの取締役に就任してもらう ことをお願いしたのだった。

“毒を食らわば皿まで”までというコトバもあるように、「どうせ泥沼に足を 踏み入れたんだからお願いっ!」という、ぜんぜん筋の通らない理由でのお願 いであったにも拘わらず、「じゃ、パフの若手が育つまでの1期だけという約 束で」という前提で、快く(でもないか?)お引受けいただいたのだった。


それから1年半。いろんなご苦労を、お二人にはかけてしまった。世の中の変 化、市場の変化に翻弄されているパフを、何とか支えていかなければという使 命感を持っていただきながら、懸命に役割を果たしていただいた。

そしてつい先日(2007年9月)、約束の任期が満了し、役員を正式に退任した。

退任に際して、「何の役にも立てずに申し訳ありませんでした」と、お二人は 揃って仰るが、とんでもない。

経営の中身のことなので、あまり詳しいことをここに書くわけにはいかないの だが、二人のおかげで助けられたことが山ほどある。パフの社員さえも知らな いところで、お二人に陰で動いていただいたことが、実はたくさんあるのだ。

この場を借りてあらためて、お二人には感謝の意を表したい。

ということで96番目の出会い。パフの非常勤取締役を務めてくださった板さん こと板倉正弘さんと、オオバさんこと大場京子さんでした。
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