STAFF COLUMN

スタッフコラム

「学びは続くよ、どこまでも ~最終学歴ではなく最新学歴が大事」

作成日:2024.4.25

こんにちは。実は今回のコラム第13回が一区切りのミスターD投稿最終回となりました。

まあ、他のスタッフコラムとも一線を画す為にも、これまで経験してきたことを「長文でリアリティと共に説明し、読み込んでいただく」をテーマにしておりましたので、重ならないネタが尽きたことが要因です(笑)。

そんな最終回は「学び続けることの重要性」という、取り分け珍しくもないネタですが、恐らく人生の折り返し地点は過ぎているはずの自分が、本当に「学ぶことは重要だ」と感じているのと、最近パフのスタッフの皆が、学びへのアクションを起こしているのを見て「アクションいいねえ」と思ったので、これまでの私の学び遍歴を書くことにします。

会社員になって自分が学んだこと


まずは、これまでに読書など以外で学びに行った講座や資格は以下のとおり。小学生の頃から書道、そろばん、英語などなどの昭和の習い事は経験しましたが、社会人になってからは、
★チーフファイナンシャルオフィサー講座(半年終了認定)
★アグリビジネス講座(数回)
★お好み焼き検定(試験1回)
★労務管理講座(8時間講義)
★生命/損害保険募集人資格(資格取得)
★メンタルヘルス講座(1年全10回)
★キャリアアドバイザー講座(1年全10回修了認定)
★MBTI講座(認定ユーザー取らず)
★国家資格キャリアコンサルタント(資格取得)
★SDGsスクール(3か月全5回)



人材ビジネスに新卒入社し、営業企画部に配属され、お客様に採用プランニングの提案、ツール制作の仕事を4年間やりました。当時はバブル崩壊直後で軒並み新卒採用の縮小で1年目からメチャメチャ営業が苦しかったのを覚えています。まあそこそこの結果は出したものの、新人なのにお昼に重役出勤して「稼げば文句ねえだろ(大して稼いでいないのに)」とか上司に悪態をついていました(恥)。そんなに威張れる数字では無かったけど、同期で最速の新規契約とか、提案スタイルが若手の中の模範とか社内で言われて調子に乗っていたので「何かを学ぶ」なんて微塵も思っていませんでした。

 「お前、そんなことも知らないの?」と言われプライドずたずたに。


そんな私に初の試練が。27歳で人材営業職から事業会社人事に転職したのですが、そこは人事総務部。バリバリの管理部門です。人事って採用プランニングとか面接をする部署で、営業と比較したら楽勝と思っていたら…「月次の部門P/L管理をやってくれ」と言われたのですが、P/Lなんて学校でも営業職でも触れたことがない。Excelにまともに打ち込めない自分を見た人事総務部長から「お前、4年間社会人やって、B/Sはまだしも、P/L分らんとか、ありえんだろ!」と、部長席の前に立たされ叱責され、今なら間違いなく誰か通報する感じのガチ怒りに反論も出来ず、悔し涙を流したのでした(笑)。

まあ部長は私の性格も分かったうえで叱咤してくれたのだと思いますが、当時は会社が上場寸前、管理部門はIRにも関連していくことになるので、その意味でも厳しく指導してくれたのでしょう(あとで思えば、ですが)。でも悔しかった私は自分にプレッシャーを掛けるためにも、一旦借金して45万円のCFOの養成講座にいきなり申込みました。そこから勉強し、何とか部門のP/L管理が出来るようになると(転職2年目)、上司は「人事はもういいから、来年から広報を立ち上げるから、そこで学べ」と異動を命じます。そこからIR広報へと業務が変りました。ただ、今度は広報という地味な仕事(宣伝ではない)で、相手にするのが厄介な(スミマセン)政治経済メディアとか新聞記者の方で、守備的対応ばかりなので、直ぐに飽きがきました。

そこで「会社辞めようかな」と思い始めるのです。辛い日々だったので、気持ちをリセットする為に自然(海)に身を置き、ボーっとする時間を増やしました。それが私の人生ミッションとなる釣りとの出会いでもあったのですが、ビジネス志向の方では「これからは農業だ」とアクションを開始。25年前の自分は半官の機構が主催のアグリビジネス講座やワールドカフェに参加して学び『会社を興こし地方活性化を目指そう』というあるあるパターンの夢を描きます。しかしミーハー根性の思い付きは、農業をやっている親戚周辺から「農業舐めんな」と言われ、直ぐに挫折してしまいました。そんな虚ろな心の自分をまたしても上司は見抜き「お前、広報やりながら社内組織の活性化をやれ」と命じられます。そこで、各社の人事部門など組織開発をする人たちとの勉強会コミュニティに夜な夜な出かけはじめました。

組織開発へ目覚めて様々な勉強会に顔を出す日々


その一つが「ちゑや」。リクルートエージェントの組織改革PRJが部門になって盛り上がっていた(後に独立)、社会人の学びの場。当時はその他にも中原淳さんの東大中原研究室Learning barなど学びのサードプレイスが流行っていましたが、ここでは色んな刺激や出会いがありました。後にパフとも親交が深いと知る村井満さんや海老原嗣生さんの話を聞いたのもここが最初でした。新卒入社のHR支援会社の頃は、人材業界の巨人リクルートを完全に敵扱いしていて【リクルートと取引をしているところを狙い撃ちし、勝つ】ことが働くモチベーションだった私が、そのリクルートの偉大さを知ったのは「ちゑや」でしたね(繁さん、今も元気にしているだろうか)。ここで知り合った人事の人たちも刺激的で、尊敬する皆さんからの学びが多かったです。30代後半に入った自分はここで経営人事(組織開発)に目覚めたと思います。

そこからは学びの火が点いたので「労務管理」「制度設計」「メンタルヘルス」という専門領域の学びを深めていきます。そんな次の学びの場は「慶應丸の内シティキャンパス」のキャリアアドバイザー講座。キャリア論の東の雄と言われる花田光世さん、高橋俊介さんらが講師陣を務めていて、専門スキルを高めるシラバスは大変だったな・・・でもここでも刺激が多く、例えば玄田有史さんの「希望学」に出会い、それには賛否ある中、自分の考えを突き進める経済学者のアンバランスさが、不思議な感覚の授業だったのを記憶しています。玄田さんのみならず、毎回トレンドな講師が登場するのはブランディングだったのだろうなあ。ここでお会いした精神科医の野口海先生にも大変お世話になり、自分のメンタルヘルス不調の際に、もう限界かも、と薬をもらおうか悩んでいたら「薬を飲むのは簡単だけど、あなたなら必ず今の心のグラスを大きく出来る」と勇気づけてくれて、グラスから水が溢れるのを防いでくれた。数分診療で直ぐ薬を出す精神科医も多いと思いますが(治療は大事なこと)、メンタルヘルスの真のプロを見た気がしました。

その後、人事部門でペイロール請負事業や生損保代理店が社内起業できないかと考えて、生損保募集人資格、人材紹介免許(会社名義)の取得などを実践したものの、どれもビジネス成就せず。そして現実的な既存事業の責任者を任されることになり、日々の業務に追われ、スクールに行ったりすることは減りましたが、その後に独立して仕事も無い暇な時期ができたので「何やろうかなあ」と思った時に「とりあえず時間があるし、助成金でキャリコンでも取るか」と冷やかしで学びに行ったら、いやいや、喋るの大好き&アドバイス大好きの自分には、慣れるまでが難しかった…。よく「人事の人は直ぐアドバイスしちゃう現象になる」そうですが、私もご多聞に漏れず。結果的に合格したものの、それで満足して、更なる高みを目指せておりません。キャリコンが終わって「これからのビジネスはSDGs」と、純粋なサスティナブル観点ではなく、一時SDGsゲームのインストラクターとかファシリテーター養成ビジネスも流行りましたが、いかにお金儲けにSDGsが関与しているか、の角度からの学びを得たくて、スクールに通いました。


学ぶことはシンプルであり、全てを受け入れられることがキャリア自律


お好み焼き検定をはじめ、もっと細かいものも書けば色々ありますが、何だかんだ言っても、私が最も人生の学びを得ているのは「興味があると感じた人と話すこと」だと思います。昔から、自分が関心を持った人とは必ず一度は2人で話し込むことにしています。そこで交わされる一言一言がエナジーになっていく気がするのです。それにはエキサイト(興奮)もあるのはあるのですが、何というのでしょうか、交感神経ではなく副交感神経による、いわばリラックス(安心)状態になる感じです。このエキサイトとリラックスを繰り返すことで、人はS字曲線の成長をしているのではないか、と私は思います。

学びの場でよく耳にする「大事なのは最終学歴ではなく、最新学歴」という言葉。これ、本当にそう思うのです。実はそれは勉強会に出ることでも、何かの資格を取ることでもなく、書籍を読みまくることでもない。日々の目の前に起こる境遇を受け入れること。15年前に、花田さんが言っていた「キャリア自律とは、いかなる状況になっても、全てを受け入れられることだ」という言葉が、ようやく腹落ちしてきた感があります。皆さん、今日という日を受け入れられましたか?

最後は思い切り長めに書いてスミマセン。これまで私の稚拙な文章を読んでいただいた皆様、ありがとうございました。

 
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