STAFF COLUMN

スタッフコラム

鬨丸のこと

作成日:2024.2.22

どうも、大岡です。
このタイミングでコラムが回ってきたのはこのテーマを書けということだと思い、うちの猫について書かせていただきます。

私がまだ30過ぎのころ、当時一緒に暮らすことになった人が飼っていた2匹の猫が連れ子としてうちにやってきたのが、私が初めて猫と暮らすことになったきっかけです。
その後、そのうちの1匹がなくなった際に一人ではかわいそうということで別の子猫をもらってきて、さらに残った子もなくなった時に同じ思いで迎え入れたのが鬨丸(ときまる)です。

最初に亡くなった猫が長毛で、すごく穏やかな性格だったので、今回も長毛の子をMIXIで探して里親さんと面会し、3匹いた兄弟の中で一目見てこの子!と決めたのを覚えています。
その時の日記がこれ。

<mixiより>
あえて日記には書かなかったのですが、7月の終わりにずっと癌を患っていた我が家のマーブルが逝去しました。
4月ごろに一度ご飯を食べなくなり、医者にも「あとはとにかく一緒にいてあげてください。」と言われた後、突然もりもりご飯を食べるようになり、癌が破れて毎日包帯を替えながらも元気に生きていたマーブルでしたが、とうとう天に召されました。
心臓発作で突然死だったしんたろうに比べれば、病気で覚悟もできていたし、出来るだけのことはしてあげた自覚もあったので、死後も泣き暮らすことはなく、とても親孝行な猫でした。
でも残されてとまどうのは麟太郎。
一緒に走る相手がいなくなり、一気に老け込みそうな勢いだったのでまたも新たな家族を探しにミクシィの里親募集のコミュニティへ。
そこでまたも私が一目惚れした子と先々週末にお見合いをし、本日保護主さん自ら我が家へ連れてきてくれました。
幼名は「おはぎ」ちゃん。
可愛い3兄弟の一人で、他の子も「あんこ」ちゃん、「きなこ」ちゃんと和菓子の名前でした。
そのままの名前でも…とも思ったのですがせっかく我が家に来たんだから新しい名前をつけようか、と考えていたところ、おもちゃで遊びながら
「るーるーるるるー」
とまるで歌っているような声を出すじゃありませんか。
元々「丸」をつけようかと思っていたのでじゃあ「歌丸」?
いやいや剥げそうだし、ということでいろいろ悩んだ結果
「鬨丸(ときまる)」
と名づけました。
鬨の声をあげるとか勝鬨とかの鬨です。
もちろんまだ「ときちゃん」と呼んでも反応はしませんが、そのうち慣れるでしょう。
写真は1枚目がいきなり悠々と大の字で寝ているトキ。
2枚目はリンが可愛がっているところ、ではなく「俺の方が上だぞ」と誇示するために首を噛んでいるところ。
3枚目はトキの逆襲です。
また近況報告が楽しみな家族が増えました。







 



父親は野良のチンチラ、母親は雑種かな?
子供のころはそれほど毛も長くありませんでしたね。

<mixiより>

リンとはすっかり仲良し。
なんと翌日には一緒に遊んでました。
トキもすごいが、えらいぞリン♪
一週間経ってどんどん仲良くなってます。
もうちょっと俺の相手してよっていうくらい二人で遊んでる。
風呂場にも入ってくるし、洗面所で丸くなってたりヘルメットに入り込んでたり予測不能な奴(^^;
ゴミ箱はリンが子供のときも入ったなあ。
キーボードが大好きで上に乗って寝るのでパソやりたいときに困るんだよなあ。



 



この日記では仲良しと書いていますが、先住猫の麟太郎とは仲がいいのか悪いのかよくわかりませんでした。
ただ、麟太郎が主張が強いタイプで、寝るときに私の脇の横は麟太郎の居場所。
鬨丸はいつも遠慮して足のほうで寝てました。
狙い通り?とても穏やかな子で、壁で爪を研いだりといった猫にありがちな困った行動は一切ありませんでした。長毛は皆そうなのかしら?

4年ほど前だったかな?
急に水を飲む量とおしっこの量が増えたのが気になってネットで調べると糖尿病の疑いが濃厚とのこと。
医者に連れて行くとビンゴでした。
そこから12時間ごとにインスリン注射の日々が始まります。



当時私は一人で住んでいたので、家を空けると注射ができません。
でも出張はあるし、たまには旅行もしたい。
そんな状況を助けてくれたのがパフの若手たちでした。
誰か注射しにきてくれない?という半分冗談半分本気の申し出に阿久根、里見、岡崎、山下と、当時の若手がこぞって手を挙げてくれました。※石上は猫アレルギーのため対象外

グループチャット「チーム鬨丸」を作り、後にメンバーに加わってくれた上城と5人で「金曜夜は私行きます」「じゃあ土曜朝は私で」と率先して分担を決めてくれました。
慣れない注射をやるために何度も練習に家に来てくれて、うまくいかなくて泣いちゃった人もいましたが、結果、皆しっかりと役目を果たしてくれました。
社員の猫のためにわざわざ注射に来てくれる。こんな会社他にないよ、と心から思います。
皆、本当にありがとうございました。

家を買って引っ越した際にはもう15歳。
急な階段上り下りできるかな?という心配も杞憂に終わり、その後、今の奥さんが一緒に住むようになり、人を招く機会も増えました。
先のチーム鬨丸はもちろん、うちの吉川や保坂、ほかのメンバーもうちに来ては鬨丸をかわいがってくれました。
生活は変わっても変わらず、その真ん中に鬨丸は居続けていました。

2月20日、その鬨丸が17歳で永眠しました。
1~2か月ほど前から体重が減り、インスリンが効いていないのかな?ということで量を調整したら今度は低血糖になり、となかなかコントロールが難しい毎日を送っていましたが、どうやら糖尿病の原因であった膵臓の機能が限界に近づいていたようです。
最後のあがきで5日間連続の膵臓機能改善の注射なども打ち、落ちていく食欲に対抗して10種類以上のご飯を買ってきて順番に試したりしました。
だんだんと体の自由が利かなくなり、歩いたときにふらついてるなと思ったら数日後にはベッドから出られなくなり、ご飯もトイレも介護老人状態。
大変だが頑張らねば、と思っていたらその数日後の朝、私が会社にいるときに様子がおかしくなり、奥さんが病院に連れて行く間にはもう息を引き取っていたそうです。

弱り始めてから急激すぎて、ちょっと気持ちがついていかないところがあります。
昨年末の動画とか見ると普通に元気なんですよ。
お葬式は23日にしたので、これを書いている今(22日)も、生前と変わらない様子で、ベッドで丸くなって家にいます。まるで眠っているようです。

里親さんには具合が悪くなってからちょいちょいご連絡していて、対応も相談し、私たちにとって最善の道を選んであげて、とアドバイスもいただきました。
おかげでやれるだけのことはやったね、と言える今があります。

飼い主として最高の17年をあげられたかはわからないけど、でもこんなに愛されて17年間過ごせたのは皆のおかげです。
本当に感謝しかありません。
ありがとうございました。

さみしい気持ちが急にわいてきますが、その時は口に出して共有するようにしています。
落ち着くまでもう少し時間はかかると思うけど、思い出したときに笑顔になれる日が来るので残されたほうも頑張っていきます。

つれづれな思いだけを書いてしまってすみません。
そろそろ役に立つこと書かねばと思ってます(笑)
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