釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第143話> 「新卒五期生 松尾多恵の巻」   2007/10/09  
 
パフの社員には地方の出身者が比較的多いのだが、出身学校で見ると、ほとん どは東京近郊の学校出身者だ。当然、話す言葉は標準語。田舎臭さが好きな僕 にとっては、多少の物足りなさを感じる職場である。

そんななか入社してきたのが松尾多恵(以降、マツオ)である。九州・福岡生 まれの福岡育ち。しかも出身大学も福岡というのだから、生粋の九州っこであ る。

マツオとの最初の出会いは、パフが2004年12月に福岡(アクロス福岡)で開催 した『キミは就職できるか?』という、パフの伝統的なイベントの場でのこと であった。

その一週間ほど前、(このコラムの91話と92話にも登場した)キャリアコンサ ルタントの本田勝裕(略称ポンタ)さんがマツオの大学で講演を行った際に、

「パフのイベントは、ホンマにおもろいよ。就職のノウハウを提供したり、企 業が堅苦しく会社の説明をしたりするようなものとは根本的に違うから、試し にいちど行ってみたらええよ」

と勧めてくれたのが、そもそもマツオがパフのイベントに参加しようと思った きっかけだったというのだから、本当に人の出会いというのは面白い。

ともあれパフのイベントに参加したマツオの感想は、「なんだこれは!?」と いうものだったらしい。参加している企業の人事担当者の方々が、とにもかく にも熱かったという。他の就職イベントで感じるような、企業との距離がぜん ぜんなかったという。と同時に、このようなイベントを運営しているパフその ものに興味を抱くようになったらしい。

次にマツオがパフを訪れたのは、数ヵ月後のパフ自身の会社説明会の場だった。 僕はこのときマツオの姿を見て、「あれ?あの学生、見覚えがあるぞ……」と 思った。福岡のイベントに参加していた学生であることを知って、「ああ、そ うかそうか、よくぞ東京まで来てくれた」と、感動したことを覚えている。

先に書いたように、マツオは福岡生まれの福岡育ち。普通なら、就職もそのま ま福岡で、と考えるところだろう。しかしマツオは、あえて福岡を離れようと 思ったという。いままで親元で何不自由なく育てられてきた自分を変えようと。 知人のいない都会で一人暮らしをし、視野を広げ、自立したいと思ったという。

そしてマツオはその後、パフの選考に進み、最終的にパフから内定をもらうこ とになる。

その年のパフの採用では、内定を受諾する前に2日間の体験入社をしてもらう ことになっていた。2日間、先輩社員と一緒に過ごし、客先にも同行営業する などし、本当に入ってもいい会社であるかどうかを、自分自身で判断させよう という意図だ。

マツオはこのとき、実はもう一社の内定先とパフとを比較し、迷っていた。そ の一社とは、パフよりも遥かに大きな同業者であった。パフとは成り立ちも文 化も全然違う会社ではあったが、パフより財務的に安定している会社であるこ とは確かだ。

比較した結果、その大きな会社を選ぶのであれば、それはそれで仕方ないし、 無理強いすることもないと僕は思っていた。

が、結果的にマツオが選んだのはパフ。決め手はパフの先輩社員たちだったと いう。

もう一社のほうの社員のイメージを聞いてみたら、「クールで、カッコいい」 ということだったが、パフはその正反対。結局、九州出身のマツオにとっての 居心地のよさは、「ベタベタでドン臭い」ところにあったのかもしれない。

2006年4月。ついにパフに正式入社。いきなり新規営業を担当することになる のだが、マツオは華々しい成績でスタートした。3ヶ月で3社のお客様を続々 と新規開拓し、契約まで漕ぎつけた。新人としては申し分のない成果だった。

しかし、不幸はその直後に訪れる。

初めての東京。初めての一人暮らし。しかも、初めての社会人。様々なプレッ シャーがあったのだろう。『ウィルス性肝炎』に罹ってしまい、約1ヶ月間の 療養を余儀なくされる。

復帰後の仕事もきつかった。リハビリも十分ではないなか、一気に次年度の営 業シーズンのピークに突入した。マツオが受け持っていた顧客の仕事のボリウ ムも大きく、それに比例してミスも多くなってしまった。

今にして思えば、「そりゃ新入社員に任せるにはあまりに重すぎるだろう」と 思えるような仕事を、マツオに振っていた。周囲の先輩達もそれだけパンパン な状況だったからしょうがない、と言ってしまえばそれまでだが、会社のマネ ジメントが極端に不足していた状態だった。

そんな状況が1年近く続いた。マツオもさぞかし辛かったであろう。途中、何 度も挫けそうになったのではないだろうか。事実、退職することも選択肢のひ とつとして考えていた。何回か「もう辞めたい」という相談も受けた。

しかし、さすがマッちゃん(マツオの愛称)、九州のオナゴ(女子)だ。土壇 場のところで踏ん張った。

7月に少し長めの休暇を取ったのだが、そのときマツオは、あえて九州には帰 らなかったという。東京でいま一度、自分自身を冷静に見詰めなおす時間にあ てたという。

そして出した結論が、「何も出来ないまま、中途半端に辞めてはダメだ」とい うもの。「もう一度、自分は何が出来るのか、お客様に何が出来るのか、何を 出来るようになればいいのか、を考えてみたい」というものだった。

この話を聞いて、僕はとても嬉しくなった。よくぞ、そういう気持ちに戻って くれたものだと感動した。

7月からパフは新しい組織になり、マツオも心機一転、仕事やお客様や仲間た ちと、あらためて向き合い始めた。

つい先日も、マツオの所属する第三グループが、取引先某社社長を囲んだ懇親 会(いわゆる飲み会)を開催しており、その場でいちばん熱く燃えていたのは マツオである。「私は、売れる営業になりたいです!!」と、某社長に向かっ て宣言していた。

僕も九州出身の田舎もの。マツオには、九州出身者の底力をいま一度このパフ で、存分に発揮してもらいたいと思う。

ということで94番目の出会い、新卒五期生のマツオこと、松尾多恵との出会 いでした。
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