釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第141話> 「コラムに書けなかった幻の社員たち(後編)」   2007/09/25  
 
会社を辞めた人たちのことを振り返って書くのは、実は結構つらいものだ。

いままでのコラムのなかでも、入社直前に辞めたフルカワや、入社直後に辞め たアサヒのことを書いたことがある。が、彼らは実名で書けるぶん(つまり気 安く実名掲載の許可の連絡を取り合えているぶん)、つらさはあまりない。

しかし、そうではない人のことを書くのは、当時のことを思い起こされて、胸 が痛むものだ。

僕は、人が会社を辞めることが必ずしも悪いことだとは思わない。人にとって 会社は、たくさんある働く環境のなかのひとつに過ぎないわけだから、その環 境が合わなくなることもあるだろうし、もっと素敵な環境が見つかることも当 然ある。

合わない環境に無理をして居つづけることはないし、素敵な環境がすぐ隣にあ るのに、そこに移り住まないという手もない。

しかし、イチ経営者の立場として考えると、人が会社を去るということについ ては、なかなか複雑な思いがある。

できることなら、入ってきた仲間達には辞めて欲しくない、というのが偽らざ る本心である。また一方で、矛盾するようではあるのだが、経営者であるから こそ、時として引導を渡さなければならないこともある。

・・・・・

1998年初夏。パフの事業を本格的にスタートしたばかりの頃、パフに正式に入 社してきた社員がいる。名前をAさんという。年齢は30代半ば。僕より3歳ほ ど若いだけだった。

僕のサラリーマン時代の取引先で人事担当者だったAさんは、雇用が保障され たそれまでの身分を捨て、明日の食い扶持さえ稼げるかどうかすら分らないパ フに飛び込んできた。

もちろん明るい未来を信じて入ってきたAさんだったが、それから半年後、資 金繰りに完全に行き詰まったパフは、翌月からAさんに給与を払うことすらで きない状態に陥ってしまった。Aさんだけならまだしも、Aさんの奥さんやお 子さんたちを路頭に迷わすわけにはいかない。

結局Aさんには、翌月までの給与を保障し、すぐに転職活動をしてもらうこと になった。しかし、多くの企業で雇用調整が行われていたこの時代、なかなか 条件の良い転職先はみつからなかった。1ヵ月後、Aさんは失業保険をもらい ながら転職活動するために、正式にパフを去っていった。

その後、共通の知人から、Aさんが無事転職できたことを聞いたが、Aさんと はいまだに音信不通の状態が続いている。あれから丸9年の歳月が過ぎたが、 このときの出来事は、僕にとっては今でも心の傷となっている。

・・・

2003年1月。新卒一期生とニ期生が入社し、取引先が急速に増え始めた頃だっ た。そろそろパフにも管理部門を作らなければならないと思っていた矢先、そ この部分を引き受けさせて欲しいと、パフに入社してきた社員がいる。名前を Bさんという。僕より3歳ほど年下だったが、Bさんの謹厳実直な性格は、僕 の優柔不断な性格とは程遠いというか、ある種、相容れないものだった。

僕がアクセルだとすれば、Bさんはブレーキ役。相容れないことは承知の上で、 ちゃんとしたことをちゃんとやれない当時のパフには、こういう真面目な人が 必要だろうと思った。

しかしそれから3年後。Bさんは辞めることになる。いろいろと原因はあるの だが、結局は、アクセルとブレーキの呼吸が合わなかったのがいちばんの理由 であろう。

・・・

2006年から2007年にかけては、中途採用を活発化したこともあり、社員の出入 りが激しい1年となった。

Bさんの後任で入社したCさん。Cさんが連れて来たDさん。ふたりともほぼ 同時に入社し、ほぼ同時に退社した。「信ずるところ」が違った結果であると しか書けないが、なかなか辛い別れであった。

・・・

次週以降書く予定の新卒六期生が入社したのが2006年4月。3人の新卒者がい たのだが、うち1名は入社3ヶ月目から、体調を著しく損なってしまい、出社 することができなくなってしまった。職場や仕事が合わずに体調を崩してしま ったと思われる。名前をEさんという。若者のミスマッチをなくすはずのパフ が、自ら若者のミスマッチを引き起こしてしまった。

結局Eさんには、知り合いの尽力もあり、再就職先を見つけてあげることがで きた。いまではその会社で再スタートを切り、元気に働いているという。

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Fさんは、30歳を過ぎ、初めての転職でパフに入社した。業界はまったく違う ものの、前職では優秀な営業マンだった。パフでも活躍が期待されていたのだ が、まったく違う業界のまったく違うカルチャーに馴染むことが出来ず、Fさ んの本領が発揮される前に、パフを辞める決意をする。いまはパフの創業時か らの取引企業に転職し、頑張っていると聞く。

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Gさんは大学卒業後、民間企業ではなく、団体職員の秘書として、10年近くの 月日を過ごしていた。そんな彼がパフに入社したのが、2006年の夏。期待の大 型新人だった。しかし、パフを約半年で辞めることになってしまっ た。理由はいまだによく分らない。あのとき、もっと強く深いコミュニケーシ ョンが取れていたらと、いまさらながら後悔している。

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Hくんは新卒七期生として今年(2007年)の4月に入社するはずだった。数ヶ 月間は、内定者インターンシップとしてパフで勤務していたこともある。しか し、ある日突然、内定辞退の意志を決めたという報告を聞いた。「教員になる という夢を諦めきれない」という理由だった。理由は別段、意外とは思わない。 残念だったのは、それが間接的な報告だったことだ。Hくんからは、事前に相 談のひとつもなかった。新人たちとの距離が、これほどまでに開いてしまって いたことが、悔やまれる。

・・・・・

Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさん、Fさん、Gさん、Hくん……。実 名こそ出せないが、僕にとって『素晴らしき出会い』であったことに変わりは ない。このコラムの特別編として、書き残しておきたいと思った次第である。
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