釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第81話> 「銀座の夜から始まった大切な出会い(その3)」   2006/07/03  
 
1997年の夏に出会ったもうひとりの人物。ダイワコーポレーションの曽根さんだ。曽根さんは、当時29歳。大学卒業後、大手総合商社で商社マンとして活躍した後、お父様が経営するダイワコーポレーションに入社した人物だった。

曽根さんと最初に会ったときの僕の第一印象。

「なーんて、甘いマスクの二枚目なんだろう。しかも体格もいいし、頭もキレるし、スポーツマンタイプだし……。こりゃ随分女性にもモテるんだろうな」

といったものだった。でも、いざ砕けて飲み始めると、もうのっけから三枚目路線まるだし。自らボケと突っ込み役を演じながら、場を盛りあげてくれていた。たいへん気配り上手な人、という印象だった。

この飲み会以降、曽根さんと直接お会いする機会はしばらくなかった。だが、僕が会社を立ち上げたことはもちろんご存知で、電話や手紙などで励ましをいただいたりしていた。

僕がパフを立ち上げて丸1年ほど経ったときのことだ。曽根さんから久しぶりにお電話をいただいた。

「クギサキさん、うちの会社でも、新卒採用をやろうかと思ってるんですよ」

パフは売上げが地を這っていたときだったので、僕は喜んで、

「え、そうなんですか?ぜひ、やりましょう。お手伝いしますよ」と即答した。

ダイワコーポレーションは、設立50年以上の歴史ある倉庫業を営む会社なのだが、新卒採用を正式にやったことがなかった。

僕はすぐに大森にある同社本社事務所まで飛んで行き、久々に曽根さんと再会。その場でパフの協賛企業になってもらう約束を取り交わした。

「善は急げ!」ということで、すぐに会社説明会の日程を決め、告知の段取りや説明会のプログラムなども、パンパンパンとスピードで決めてしまった。

そして数週間後に行なった初めての会社説明会。僕も応援にかけつけて、曽根さんと一緒に、会を進めていった。

いまパフでは、個別企業のオリジナルな説明会の企画・運営・コーディネートといった仕事を数多く手がけているのだが、よく考えてみたら、ダイワコーポレーションさんとのお仕事が、実質的な最初の説明会コーディネートだったかもしれない。

以来、ダイワコーポレーションさんは、ずーっとパフで新卒採用を実施してくださっている(もう7年になる)。ダイワの若手社員のほとんどの人たちも、パフのことを特別な存在だと思ってくれている。「パフがなければダイワと知り合うことがなかった。だからとても感謝しています」と仰ってくださる社員もいる。たいへん嬉しいことだ。

いま僕個人は、ダイワさんの採用に直接タッチすることが少なくなってしまったが、それじゃ寂しいということで、2社合同でのボウリング大会を2年前から実施している。

ちなみに、第一回目の個人優勝は曽根さん。第二回目の個人優勝は僕。第三回目は今年の暮れに開催される予定だが、負けるわけにはいかない(笑)。

家族ぐるみのお付き合いというのはよく聞いたことがあるが、ダイワさんとはまさに「会社ぐるみのお付き合い」が続いているという感じだ。

それもこれも、今から9年前の、まだパフが生まれる前の僕と曽根さんとの、個人的な出会いがあったからこそだ。

この個人の出会いが、その後の多くの出会いに大きな影響を及ぼしている。人と人との出会いの偉大さに、あらためて気がつく。

曽根さんは現在、ダイワコーポレーションの専務取締役。次代のダイワコーポレーションをさらに強固で素晴らしい会社に育て上げていくべく日々奮闘している若き経営者だ。

ダイワコーポレーションがどんなに大きな会社になっていったとしても、パフが(ダイワさんほどではないにしろ)スゴイ会社になっていたっとしても、両社(者)の関係だけは、永遠に続いていってほしいと心から思う。

ということで、51番目の出会いは、9年前の銀座の夜から始まった出会い。現、株式会社ダイワコーポレーションの専務取締役、曽根和光さんでした。
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