釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第80話> 「銀座の夜から始まった大切な出会い(その2)」   2006/06/26  
 
1997年12月。あり得ないくらいの低コストで、パフの創業時の事務所を立ち上げることができた。OMSの石山さんのおかげである。

パフの事業が正式にスタートした翌年春以降も、石山さんとのお付き合いは続いていた。

僕は、会社を作ったといっても、売上げに結びつくような仕事はほとんどなく、減っていく一方の会社の預金残高をながめながら、溜息ばかりをつく毎日だった。

そんな折、石山さんから仕事の依頼が来た。

「OMSでもホームページを立ち上げようと思ってるんです。また全社員に、一人一台のパソコンを持たせて、今後は電子メールを活用していこうと思ってるんです。ついては、釘崎さん、ホームページの作成とか、サーバーの構築を手伝っていただけませんか?ついでに週一程度で構わないので、我々古手の社員に、パソコンの使い方とかメールの使い方をレクチャーしてもらえないですか?」

とてもありがたかった。

本来ならシステム屋さんに発注するような仕事なのだが、石山さんは僕(というかパフ)が資金繰りに窮していることを、察してくださっていたのだろう。

それから1週間に1度、僕はOMSの事務所に通って、社員の皆さんに、パソコンの使い方、メールの使いかた、ワードやエクセルの使い方についての、家庭教師を行なうことになった。

夕方から実施し、終了すると毎回、石山さんは僕を食事に誘ってくださった。石山さんの兄貴分で、OMSの取締役でもある福田さんというすっごいダンディな方も、いつも一緒だった。

石山さんと福田さんは、食事の席で、いつも僕のことを励ましてくださった。

「いやー、釘崎さんはすごいですよホントに。大丈夫ですよ。絶対パフは立派な会社になりますよ。今は大変かもしれないけど、ぜひ頑張ってくださいね!」

とにかく、僕のことを褒めて褒めて褒めまくってくださった。そして、明るく元気に、一緒に飲んで唄って騒いでくださった。なんて温かい人たちなんだろうと思った。

・・・それから2年後、どうにかこうにかパフは潰れずに、創業時の事務所から少し広い事務所へと移転することになる。

石山さんは自分のことのように喜んでくださり、またも精一杯の安い金額で、事務所作りを手伝ってくださった。

さらにそれから4年後、築地の事務所(現在のパフの本社)に移転することになる。そして、その2年後の今年にも、大幅な事務所の改装を行なった。やっぱりOMSさんに一切合切をお願いした。

僕はパフを、これからも少しずつ大きな会社にしていきたいと思っている。事務所移転やレイアウト変更も頻繁に行なうことになるだろう。

そのときは、必ずOMSさんにお仕事をお願いしたいと思っている。そのことで、当時の恩返しが多少なりともできるとするならば、こんなに嬉しいことはない。

ということで、銀座の夜から始まった大切な出会いの一人目。通算、50番目の出会いは、OMS(オフィスマネジメントシステム)の石山さんでした。
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