釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第73話> 「求人サイト『登龍門』で出会った人々(その3)」   2006/05/08  
 
1996年3月。『登龍門』の運営が始まって、3ヶ月が経っていた。

学生向けの新卒就職サイトとしてスタートした登龍門だったが、社会人向けの中途採用情報も扱うことになった。

新卒は一年に一回しか商売にならないが、中途なら、一年中いつでも何回でも売上を立てることが出来る。同業他社のサービスにもまだ強敵がいなかった時代だ。やるなら早いほうがいい。僕らはすぐに準備に取り掛かった。

ネーミングは比較的すぐに決まった。会社の仲間と飲んで帰ったある晩、ほろ酔い気分で風呂に入りながら考えた名前なのだが、「これしかないだろう!」というくらいピッタリの名前だった。

新卒は『登龍門〜社会人への道〜』。中途は『登龍門〜天職への道〜』という名前だった。

インターネットのサイトの名前は、横文字の洒落たものが多かったのだが、登龍門は、あくまで和風にこだわった。

中途のサービスを始めるにあたって、サイトのデザインも一新することにした。

多くの人たちに親しんでもらうために、サイトのイメージキャラクターを作ってみてはどうだろう、ということになった。

しかし、それまで付き合いのあったデザイン会社には、キャラクターをデザインできるような能力のあるデザイナーはいなかった。

「どうしよう……」

困っていたときに突如現れたのが、デザイン会社G社のOさんだった。G社は、取引先の印刷会社さんから紹介された小さなデザイン事務所だった。Oさんは、G社の社長であり創業者でもあった。社長といっても、年齢は僕よりも随分と若い。Oさんは、美大に在学中のときに会社を設立。僕と会ったこのとき、まだ20代の若者だった。

G社のOさんは、こだわりの芸術家といったタイプの人。何案も何案も、登龍門のイメージキャラクター案を描き起こしてきてくれた。

そして最終的に決まったのが、西欧のアニメ風のタッチで描かれたドラゴンのキャラクターだった。とても可愛く優しく、ユーモラスなキャラクターで、一度見たら忘れられない独特なデザインだった。

G社のOさんには、それから丸2年間、登龍門のデザインを全面的に手がけてもらった。Oさんは、僕がイメージするものを実に見事に絵にしてくれた。僕にとっては、なくてはならない大切なパートナーのひとりだった。

実は僕が独立してパフを作るときにも、G社のOさんにはとてもお世話になった。パフが出来てからも、G社とはとても強いパートナーシップで結ばれている。

登龍門のビジネスの成功の裏には、G社のOさんが生み出した、キャラクターの力があった。そして、パフが創業当初から制作物を売り物にしてこれたのは、G社のOさんが、パフに対して協力体制を敷いてくれたからだ。本当に質の高い制作物を、G社はたくさん生み出してくれた。

『登龍門』を通じた出会いの三人目(通算45番目の出会い)は、デザイン会社G社の社長Oさんでした。
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