STAFF COLUMN

スタッフコラム

話さないことから始まる!様々な「対話」のかたちについて

作成日:2025.12.18

こんにちは、林です。

最近は「場づくり」「対話」というキーワードに惹かれ、プライベートも含め様々な対話の場に出向くことが増えてきました。

先日、少し不思議な対話会に参加しましたので、そこでの気づきシェアします!

そこでは、活発に意見を交わすことよりも、「静」の時間が何より大切にされていました。

 

◆言葉の少ない対話会で

私が参加したのは、「静」をテーマとしたイベントでの対話会。

主催者1名と参加者15名程度が参加していたのですが、テーマも話す順番も決めず、真ん中にろうそくだけ置かれており、あとは輪になって「居たいように過ごす」という2時間でした。

 

その場で大事にされていたのは、「自分が一番心地良い状態で居る」こと。

話したいと思ったら言葉を輪の真ん中に「置いてみる」。

置かれた言葉を拾いたいと思えば、拾う。

ほかの人の話をずっと聴いていたい人は、ただただ聴く。

輪から出て一度外の空気を吸いたい、と思ったらそうする...。

 

始めはどうなるのかな?とドキドキし、沈黙も少し気まずく感じましたが、

時間が経つにつれて「誰かのため」ではなく「自分が今感じていること」に集中でき、

心が和らいでいきました。

 

キャッチボールではない対話

対話はよく「キャッチボール」に例えられます。

相手の心地良いタイミングや場所を考え、自分の言葉をコントロールしながらそこに言葉を投げていく。相手もしっかりとそれを受け取り、また相手のことを考慮しながら投げ返していく。

元々私の中での対話のイメージはそれに近く、より相手に気づきを与えられたり、寄り添った言葉を投げられるとなおよし(その時間に価値が生まれる)と思っていました。

 

一方、私が参加した対話会では、対話は「波紋」と例えられていました。

誰かの一言が、別の人の考えに影響し、それがまた場全体に静かな波紋を広げていく。

言葉以外の情報(そよ風や部屋の外の音、それぞれの表情等)からも、自分の考えに影響を及ぼす。

それぞれが「話す人」「聞く人」に固定されるのではなく、ただ自分が居たいように居る。

 

その在り方そのものが、すでに対話になっていました。

言葉は少なくても、確かに何かが共有され、育っていく感覚がありました。

効率の外にあるもの
仕事の場では、効率や結論が優先され、その結果、すぐに言語化できない違和感や予感のようなものを、置き去りにしてしまうこともあります。

 

今回の対話会を通して、あえて話さず、その場に「居る」ことに集中してみる価値を感じました。

沈黙のなかでこそ、自分でも想定していなかった言葉が、ふと浮かび上がることがある。

遠回りに見えて、実は大切なものに近づくための、重要な対話のかたちなのかもしれません。

 

今後、色々な人とこうした対話会も実践してみたい!と感じた時間でした。

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