どうも、大岡です。
ちょっとした縁で最終日に駆け込みで万博体験してきましたが、パビリオンにはほぼ入らず。景色だけ眺めて散歩してきました。すごい建物ばかりで建築系とか、ゼネコン志望者が増えるんじゃないかなー。
さて、この話題も一段落した感がありますが、先日創業社長の釘崎さんが株主総会を持って代表取締役会長職を退任され、晴れて飲み屋のおやじに専念されることになりました。
本当はその日の夜に追い出しコンパをやりたかったのですが、ライブのチケットが取れちゃった、というご本人の都合で追い出しランチになったのはこれまでのコラムでも触れられていますが、ここで何をやるか?という事前の相談において吉川さんから「吉川、保坂、大岡からそれぞれ手紙を書きましょう」という提案がありました。
手紙を書くのは奥さんにプロポーズして以来。
どうせ号泣する吉川さん、言うても素敵なエピソードをたくさん持っている保坂の前の露払いとして、適切な手紙を遂行に推敲を重ねて20分で書き終えました。
私と釘崎さんの出会いからこれまでを振り返った内容なので、今日はそちらを転載して公開します。
※本番用はちゃんと清書して釘崎さんに贈呈しておりますが、その際に長すぎる(用意した便箋の枚数が足りなくなりそうだった)と思っていくつかカットした部分も残ったままの完全版?です。また、一部掲載にあたり表現を和らげている部分があります。
◆◆◆
釘崎さんへ
私が初めて釘崎さんを知ったのは共通のお客様である、M社の二馬さん経由でした。
「釘崎ってやつがいてな。こいつがまた面白いやつで。何でもできるんだよ。」
元来自分が一番だと思っていた私は、仲のいいお客様から他人をほめる言葉を聞いて「なんぼのもんじゃい」と思ったことを覚えています。
ちなみに続いた言葉は
「社員はそれをわかってなくて釘崎の文句ばっかり言うんだけどな。」
でした。多分、高田君が担当だった時だと思います。
その後、M社の説明会の見学に行った際に初のご対面。
釘崎さんは当時、今となってはほぼ全部杉平さんにお願いしている司会進行を自ら担当されていました。
先輩社員数名を相手のパネルディスカッションの仕切りはよく覚えていませんが、きっと見事なものだったのでしょう。でも、そもそもうがってみている私は
「そんなにすごいか?」
と思いながら眺めていました。
終わってから名刺交換の時の「どうも釘崎です!」という元気な声とさわやかな笑顔に
「この人絶対裏があるんだろうな」
と感じたことを昨日のように思い出します。
でも多分、これを機にFacebookの友達になったんですよね。
何で申請したのか皆目思い出せません。
きっと当時はちょっとした知り合いにでも申請する世の中だったんでしょう。
時を経て、R社のコンペのオリエンテーションが2回目の邂逅。
人事に質問をしているのにすべて答えてしまう保坂の横で、おでこに眼鏡を載せて今初めて見るかのように要件書を読み込んでいる釘崎さん。
確か、あの時あなたは追いつくのに必死だったのか一言もしゃべりませんでした。
釘崎さんの印象が大きく変わったのは木津さんのおかげです。
何のときかは忘れましたが、木津さんから
「釘崎さんって知ってる?大岡のこと、あいつは優秀だねって褒めてたよ。」
という内容のメッセージをもらったのです。
※蛇足ですが確か当時私がFacebookで政治批判を繰り返していて、木津さんが“大岡、病んでる?大丈夫か?”と心配して連絡をしてくれた流れだった気がします。ちなみに政治批判は元気な時も全然やります。
自分が大好きな私は自分をほめてくれる人のことも大好きです。
『得体のしれないライバル会社の社長』は、その瞬間から『人を見る目のある優秀な経営者』へと認識を改められました。
おそらくこの変化がなければ次の展開はなかったですね。
そこからまた幾年もの時が経ち、前の会社で謂れのない咎めを受けて仕事に対してやる気ゼロだった私。
あまりに暇でやることがなかった時に飛び込んできた釘さんライブの告知。
“二馬さんがいるんじゃないかな?”というのもありましたが、自分も定期的に演劇に出演する身だったので、こんな活動をしている同業者(しかも自分をほめてくれる、人を見る目のある人)がやっていることに対してほんの少し興味が湧いたのも事実。
そこに佐伯がいて、という奇跡?も相まって程なく飲みのお誘いがあり、
「うちに来ませんか?」
という、自分の状況的には願ってもないお話を、皆が結構酔っ払った状態でいただいたときは、本当はめちゃくちゃ嬉しくて、即答で「お願いします!」と返したかったんですが、ちょっと格好をつけて
「本気なら素面の時に誘ってください」
とか言ってしまいました。
“素面になったら連絡来なかったらどうしよう?”と思う間もなく翌日に改めてご連絡が来た時は嬉しさはもちろん、なんだかワクワクした記憶があります。条件面のすりあわせとか本当はどうでもよくて、もうパンチ佐藤の「心は一つです!」状態でした。
※ちなみに前の夜に帰ってからパフの採用サイトを見まくって、吉川さんの美人さ加減に結構やられてました。
「見てる人は見てくれている」んだと。世の中捨てたもんじゃないと。そう思って入社しましたが、後で聞いたら
「大岡は吉川、保坂とはきっと合わないと思う。」
「まあ、合わなければいなくなるでしょう。」
というような話をされていたそうで、当時の自分の喜びを返してほしいです。
というのは冗談で。
おかげさまで私は今、ここにいます。
釘崎さんを見送るまでここにいさせてもらえるとは、さらには社員代表の一人として手紙を書かせてもらうような立場にいさせてもらえるとは、入社直後の私は全く想像していませんでした。
相変わらず、釘崎さんにできることはほとんど自分にもできるんじゃね?と思いあがっている私ですが、パフという最高な会社を立ち上げ、育ててきたこと、これは絶対に真似ができません。その1点において、まあまあ尊敬しています。
『何でもできる』釘崎さんだからこそ、周りが驚くほどあっさりと自分が作り育てた会社を後進に譲ることができたのだろうとも思います。
是非、『その何でもできる』力を今後もいかんなく発揮し、カレー以外の看板メニュー開発に取り組んでいただければと願ってやみません。
本当にお疲れさまでした!
ありがとうございました!!
これからも末永く、よろしくお願いいたします!!!
2025年9月26日 大岡伸次