STAFF COLUMN

スタッフコラム

笠原の夏休み ふくしまぶスタディツアー

作成日:2025.8.7

こんにちは。パフの笠原です。

皆さんは夏休み、いかがお過ごしですか?
パフの夏休みは特に決まった日はなく、夏季特別休暇と、夏の期間に使える有給が付与される形式です。今日はその夏休みを使って行ってきた、福島の話をしたいと思います!

みなさん、福島と聞くとどんなイメージがありますか?桃が美味しいとか、雪がすごそうとか、あのヨークベニマルさんだよねとか、もう一つ浮かぶかもしれないのが“東日本大震災の被災地”としての福島ではないでしょうか?
私自身、震災当時は小学校6年生で、確か卒業式の予行演習をしていた気がします。
当時は都内も余震が続き、連日ニュースで福島第1原発の報道を見ていました。しかし、結局画面の向こうのことだし、都内でも放射線が観測されたと話題になった時も、中学校の同級生と「問題ないって言ってるし俺たちは飲もうぜ(ドヤァ)」と謎の覚悟を決めて学校の水道水をがぶ飲みする挑戦をしていました(アホですね)。
まあそのくらい実感もなく、なんとなく大学に進学し、そのまま就職、なんだかんだいろんなことをしながら、「結局被災地って今どうなってんだろ」とうっすら思いながら過ごしていました。でも根底には、

・画面の向こうの世界に行ってみたい
・自分の目で見たものを信じたい
・一番影響を受けた人たちの生の声を聞きたい

と思っていました。だからこれまでもドイツの戦争博物館を観て回ったり、静岡の町おこしに関わったり、ケニアに行って孤児院の見学をしてダンスを教えたり、大学生含めた120人と同居したり、色々してきたわけです。
そんな想いで今回は、環境省の助成事業の一つである、ふくしまぶさんのスタディツアーに参加してきました。

<見学先一覧>
東日本大震災・原子力災害伝承館(見学)
双葉町産業交流センター(お昼:なみえ焼きそば・見学)
鴻草、除染・解体現場(見学)
双葉駅(見学)
中間貯蔵施設・中間貯蔵事業情報センター(見学)
株式会社ReFruits (キウイの国)(見学・対話)
東京電力廃炉資料館(見学)
東京電力福島第一原子力発電所見学
道の駅なみえ (昼食)
飯館村長泥地区「花の里ながどろ環境再生情報ひろば」(見学)

どこも印象的だったなぁ、、、
中間貯蔵施設は除染によって集められた瓦礫や土を処理して人体に害がないレベルに落ち着くまで貯蔵しておく施設です。そこで解説をしてくれたおっちゃんが除染土のことをあんこに例えていて、中間貯蔵施設はまんじゅうのようにあんこを包んでおく施設だそうです。美味しそうですね。(そんな生やさしいものではないことは百も承知ですが)でもこれくらいの温度感で伝えることって結構大切だなと。放射線を発するとんでもなく危険なものを貯蔵してます!!!!と恐ろしく話されるより、そうやって例えてもらえた方が冷静に聞けるような気がしました。
実際に貯蔵施設でガイガーカウンターを持って歩いたのですが、気分はさながら宇宙戦艦ヤマトを見つけた瞬間の古代と島でした。(この例え伝わる人はいるのか??伝わったとしても伝わりづらい例えである)あんまり長時間いるとガイガーカウンターが鳴るらしいですが、かなり除染が進んでいるからか、鳴ることはなかったです。
また、いまだに避難指示が解除されていないエリアにも入り、風化し始めた家屋も見ました。建物によっては、まだ人が住んでいると思えるくらい綺麗に残っているものもあったり、逆に、草木に侵食されてもう住めなそうな家もあったり、不思議なディストピアに迷い込んだようなそんな気分でした。

福島では避難指示が解除されたとしても、元の地域に戻らない選択をされる方もいらっしゃるとのことです。綺麗に見えるお家も、数年人が住まなければ劣化が進んで住めなくなってしまうんだとか。また、避難した先で知り合いが出来ればそのままそこに住み続けるようになるとか。
どこに住むかと同時にどんな人たちと暮らすか、が街選びの基準になりうるのだと感じました。東京だと、アパートに住んでても隣に住む人の顔もわかりませんが、こうした地域だとそう言った地域での交流が大事なんだろうなと思います。

こんなふうにいくつかの地域を巡る中で特に印象に残ったことがあります。それが資料館や表現者によって語り口が変わることです。当たり前と言えば当たり前ですが、こうした視点で資料館を観るのは結構面白いです。
例えば、震災当時、福島原発に残りエンジニアリングを続けた50名の描いた映画、福島50では現場視点で語られていましたが。(政治家や本店の対応の悪さが描かれていた)
一方で、資料館では原発の問題点はすでに指摘されていた(災害への虚弱性)にも関わらず、それを野放しにしていた人災だと指摘されていました。私は、この指摘はある意味あの映画の50人の作業員も含めた指摘なんだよなぁと感じました。
こんなふうに資料館を観ていると過去を未来にどう伝えるかいろんな方法があるのだと思います。

例えば、長崎の原爆資料館は実際に建物が倒壊した様子などを原寸大で再現した展示があり、当時の破壊された街を歩くような体験ができます。
ドイツには戦争資料館がいたるところにあって、作られた年代によってメッセージが違ったり、表現方法をアートに頼ったりしていました。

じゃあ福島のことはどう伝えるのが良いか。
震災から数年の間は、「語り部」と呼ばれるような、実際に被災した人が自身の経験を語る人々の存在をよく耳にしました(自分のゼミの同期が語り部の研究してたのもあるけど)。今回訪問した、原子力災害資料館でも語り部の講話をしていました。ただ、個人的には語り部に依存した伝承の仕方って少し難しいんじゃないかと思います。それこそ、語り部が途絶えてしまえば話は終わってしまうわけだし。そもそも、話を聞いてもらえるか否かは語り部の技量にかなり左右されてしまいそうです。しかし一方で、語り部がいる意味は、「それを伝えねば」という想いがあることではないでしょうか?

私自身は今回のツアーを経て、ふくしまについて伝えるべきこととそうでないことがあると感じました。
伝えるべき、と思ったのは、一度ゼロになったこの地だからこそ、手を取り合い前に歩みを進めている人たちがいるということです。

 

今回の旅で出会った福島の人たちはみな、「ここは人が良いんだ」と言っていました。なぜそうなんだろう?と思った時、福島の方のお話の中で、一度生まれ育った地元を離れ、避難先のコミュニティでマイノリティであることを経験したからではないかと言っていて腑に落ちました。“避難”という経験を通じて、強制的に新しいことを経験したのもそうだし、それでもやっぱり福島に戻ってきた人というのはきっとパワーにあふれているんだと思います。私自身彼らの話を聞いてそのパワーに圧倒されました。自分の人生に何かパワーが足りないなと思っているそこのあなた。ぜひ一度浜通りに足を運んでみてください!

 
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