創業物語 プロフィール
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  第32話    「全国を駆け回った1年間」 2001/3/18  
1989年4月。
東京駅丸の内北口を出てすぐのところにある、大手コンピュータメーカーF社
の本社10Fに、ボクの席が用意されていました。

米国S社のUNIXワークステーションを、F社ブランドの商品として、いか
にユーザーに拡販し根付かせていくか…。
それが、ぼくの配属された「Sプロジェクト」に課せられた大きなミッション
でした。

当時のF社は汎用機(大型コンピュータ)には強いが、パソコンやオープンプ
ラットホームであるUNIXワークステーションについては、製品ラインアッ
プに乏しいばかりか、営業ノウハウもほとんどない状況だったのです。

Sプロジェクトは、このワークステーションを売るための施策づくり、例えば
各種販促イベントの企画・運営や、バンドルソフトを提供してくれるソフトウ
ェア会社の開拓・契約、全国津々浦々の現場営業マンの教育やユーザーへの同
行訪問、プレゼンテーションを含めた直接サポート等々…。とにかく1台
でも多くのワークステーションを売る(正確には現場の営業マンに売ってもら
う)ためのことなら何でもやるセクションだったのです。

ボクにとってはまったく未知の分野だったのですが、なにしろ日本を代表する
コンピュータメーカーのある種今後を占う大事な仕事であり、また日本全国を
飛び回る仕事でもあったため、日々忙しくも、充実した毎日を過ごしていまし
た。

札幌、仙台、新潟、金沢、長野、名古屋、京都、大阪、奈良、和歌山、広島、
山口、四国、福岡…。

覚えているだけでも、これだけの地域を営業サポートやイベントで飛び回って
いたのですが、何と言っても楽しみだったのは、現地の営業マンと繰り出す夜
の街。当時はまさにバブル全盛期で、コンピュータメーカーの営業マンは相当
な接待予算を持っていたんですねー、これが。各地でかなりの飲み食いをさせ
ていただいたものです。

今でも記憶に残っているのが、これは地方ではなく東京の夜の出来事ですが、
銀座の高級寿司屋で、えいちゃん、そうあの矢沢永吉と一緒に寿司をつまみな
がら飲んだこと。カウンターで偶然隣り合わせになっただけなんだけど、恐れ
を知らなかったボクは「あれ、矢沢さんですか?」と気軽に声をかけ、先方も
気さく会話に応じてくれて、帰りにはワイシャツの背中にサインまでしてもら
ったりして…。後々考えるとすごい体験でしたね。

ともあれ、仕事も遊びも非常に刺激的で、良い経験をした1年間でした。

しかし、そんなバブリーな日々はいつまでも続くわけもなく、1年後、Sプロ
ジェクトも解散の日を迎え、ボクは出向元のディーラーに帰ることになったの
でした。

そして、そこで大きな壁にぶつかることになったのです。

                                          (どんな壁?…つづく)

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