創業物語 プロフィール
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  第14話    「ぜんぜん売れない2人の営業マン」 2000/10/29  
1983年3月初旬。

リクルートで就職情報誌の営業マンとして働きはじめて、2ヶ月が経とうとし
ていました。

昔は(今でもあるか?)、リクルートブックという分厚い就職情報誌が、大学
4年生の自宅に段ボール一杯に詰められて届けられていました。

1社1P〜4Pほどの会社の情報が掲載されており、またご丁寧に資料請求用
のハガキまで別冊でセットにされた、就職活動を行う学生にとってはアリガタ
ーイ就職情報誌だったわけです。
(今でいうと、リクナビが数十冊の本になって、各学生の玄関先まで宅配され
 ておったんですね。)

で、僕がリクルートでやっていた仕事というのは、
その情報誌に「載ぜてくれ〜〜!」と、いろんな会社に営業して回る仕事だっ
たわけです。

我が神田営業所のテリトリーは、千代田区神田の中小企業がひしめき合うとこ
ろ。僕たち営業A職(当時4名)は、新聞とか帝国データバンクの会社年鑑と
か、学校の求人票とか、ライバル情報誌とか…。とにかくどこかしらから
新規の営業訪問先を独力で見つけてくるところからが仕事でした。

会社からは、どこそこに営業に行け!という指示は一切なし。とにかく自由と
いうか放任というかいい加減というか、半端な学生を恐いくらい自由に泳がせ
てくれていました。

とはいえ、目標達成に対してはシビアで、僕は当時3ヶ月で1000万円ほど
の売上げ目標を持たされていました。

しかし…。売れない。
ぜんぜんっ!もう2ヶ月も経とうとしてるのに…。

だいたい、アポイント(電話して訪問する約束をすること)がとれない。
30件中29件は、「結構です!」と“けんもほろろ”に断られる始末。

営業所には、各営業マンの売上高を示す棒グラフが貼られているのですが、
僕の所だけ1mmも色がついていない。

「あちゃー…。こりゃマズイなー。」結構、焦っていた時期でした。

そんな状況の中、救いだったのが、ムライミツルという内定A職の存在でし
た(前号参照)。

このムライという男、(人前で屁をこくのが趣味の男なのですが)やっぱり
たいして売れてないくせに、極めて堂々かつ飄々としており、とても学生と
は思えない心臓に毛の生えたような人物でした。

そのムライ氏がある日…

「おーい、クギサキー、東神田の方にさ、俺の親戚が重役をやっているアパ
 レル関係の会社があるんだよ、よかったら一緒に営業に行こうぜ!」

と、実においしい営業先を紹介してくれたのでした。

「はい、いきますいきます。売れますかね?ムライさん」

「おー、売れる売れる、任せとけ。新規一発1000万円よ。売上げは俺と
 お前で折半だな」

藁をもすがる思いだった僕は、このムライ氏の根拠のない1000万円に
相当な期待を持ってしまったのでした。

そして訪問当日。
先方の会社に、2人で勢いよく乗り込んで、あーだこうだいろんな説明をす
るのですが、人事担当者は無表情に一言。

「いやー、採用の予算はほとんどありませんので…」

夕日が西に沈みかけた東神田からの帰り道。
僕とムライ氏は、両手に分厚い見本誌を抱えてトボトボと営業所に向かって
歩いていました。

「クギサキさー、俺たちなんで売れないのかなー…」

ムライ氏から聞く初めての弱気な発言。
そうかー、ムライさんといえどもやっぱり売れないことを少しは気にしてた
んだ・・・。ムライさんは来月から正社員だしな…。

「ム・ムライさん、元気出しましょうよ…」
「あ、ムライさん、まずい!僕たちの歩いているこっち側の歩道は日陰ですよ。  向こうに渡りましょう、向こうに。
せめて日の当たる道を歩いて帰りましょうよ」

「そ、そうだなクギサキ。日の当たる道を歩いて頑張ろうな!(感動の涙)」

そして、それからしばらく経った3月中旬のある日。
売れない営業マン釘崎青年に、電撃的な初受注の日が訪れるのでした。

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