創業物語 プロフィール
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  第12話    「日本リクルートなんちゃら会社」 2000/10/15  
1982年12月下旬。釘崎青年、大学3年生のクリスマス前の頃。

大学サークルである人形劇団の団長を務めていた僕は、その年最後の公演を終
え、ちょっとした達成感・充実感に浸りつつも、

「あー、これで俺の人形劇団生活も終わり、
        そう、青春の1ページも幕を閉じるんだなー…」

という、寂しさにも同時に浸っていました。

我が「人形劇団ZOO」は、3年生の後期公演が終わった段階で、後輩に道を
譲るしきたりになっており、3年生は、翌年に控えている卒論やら就職活動や
らに精を出すことになっていたのです。

「就職といってもなー…、なんだかピンとこないな…」
「卒論もまだまだ先だしなー…」
「ぐだぐだぐだぐだ…」

と、それまで 人形劇 や はとバス で無茶苦茶忙しかったことによる反動
か、なんとなく“燃え尽き症候群”みたいにボーっとしていました。


ちょうどその頃、兄から、「おい、お前うちの会社で働いてみんか?」と、声
がかかったのです。

兄は僕よりも5歳年上で、当時は会社の4年生。
兄の立場は、総務部人事採用担当。
会社の名前は、株式会社日本リクルートセンター。

「日本リクルートセンター…?。
 たまに新聞に学生の意識調査やらを発表しとる、なにやら胡散臭い調査会社
 やろ?なーんで、東大出のお前がそんな訳の分からん会社に就職したん?」

兄が大学を卒業して就職した頃、不思議に思って良く聞いたものです。

東大卒と言えば、大蔵省とか弁護士とか検事とか、民間であっても、新日鐵と
かの重厚長大企業に入るもんだ、という固定観念があったんですね。

それはともかくとして、そんな兄が、
胡散臭い(と相変わらず僕は思っていた)自分の会社に来い、と言う。

僕:「んー、まぁいいけど、いくら貰えるん?」
兄:「1日7時間の勤務で7200円。残業を含めれば1日1万くらいかの」

なにー!イチまんえん!?

当時の学生アルバイトの相場は、せいぜい時給500〜600円程度。
はとバスなんて、時給450円の薄給でした。

それに比べて、日本リクルートなんちゃらという会社は、時給に換算すると、
その倍以上。

僕:「やる、やる、今すぐやる。はとバスも辞める。で、いつから?」
兄:「おー、そうか。じゃ、適当な営業所を紹介するから待っちょれ」

その数日後、兄から指示された営業所は、神田多町の薄汚いいビルに間借りし
て入っている「神田営業所」というところ。

20人位の事務所で、行くなりそこの所長さんが大変親切かつ丁重に仕事の説
明をしてくれました。

「なかなか感じのいい会社じゃん!」と思ったのもつかの間、
「じゃ釘崎君、こっちの部屋にきてください」と通されたのはガラーンとした
殺風景な部屋。

所長:「今日、あと2時間ほどいいですか?」
 僕:「へっ?2時間もですか?別にいいですけど…」

と返事も終わらぬ間に出されたのが、共通1次試験(懐かしい!)みたいな問
題冊子とマークシートの解答用紙。

所長:「一応、会社の決まり事で、このテストを受験してもらうことになって
    いるんですよ。」

と、ニコニコしながらその所長は説明するのですが、一応という割に2時間の
テストというのはちょっと異常だ!そう思った僕は、

「あの〜、このテストの成績が悪いとどうなるんですか?」

と恐る恐る聞いてみたら、その所長は平気な顔をして、

「そりゃ、仕事をしてもらうに足りる成績じゃないとねぇ、
 いくらお兄さんの紹介とはいってもねぇ、ま、気にしないで受けてみて」

といとも簡単に「ダメなら落とす」と言ってくれるではありませんか。

内心、『ゲッ!そんなこと聞いてねぇぞ!』とビビリつつも、
「わかりました。頑張ります」と答えてしまったのでした。

その試験の名前は(もちろん後から知ったのですが)、「総合検査SPI」。

そう、今年就職活動をした諸君が、さんざん受けてきた適性検査だったのです。

賢明な読書のみなさんは、もうお分かりでしょう。
日本リクルートなんちゃら、という調査会社もどきは、実は「リクルート」そ
のものだったんですね。

このSPI受験の日が、僕のその後の人生を、大きく決定づけた記念すべき日
だったのですが、もちろんその日の僕は、そんなこと知る由もなく…。

抜き打ちで2時間以上も散々難しい試験をやらされ、ヘトヘトになっていた僕
は、帰りに駅前で憂さ晴らしのパチンコに興じていたのでした。

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