創業物語 プロフィール
バックナンバー一覧へ
 
  第07話    「酒と泪と男と女とフォークソングの下宿時代」(1) 2000/09/10  
1976年4月。

湯布院の山奥から抜け出して、都会生活(といっても大分市内だけど)に胸をふくらませ僕が入学したのは、「大分県立大分舞鶴高校」

当時、県下の高校では、舞鶴高校、上野丘高校、雄城台高校の三校がライバル 関係にあり、東大を頂点としたいわゆる旧帝大に何人を送り込めるか!という のが各高校の先生方の至上命題であり、やりがいになっていたようです。

上昇志向のほとんどなかった僕は、そんな学校の事情とは一切無関係に、とに かく都会でひとり暮らしできるのが嬉しくて嬉しくて、舞い上がっていました。


が!


下宿生活スタート初日から、その嬉しさが大きな不安へと変貌していったので す。
・ごはんがまずい!
・下宿のオバサン(旦那さんと数年前離婚)がちょっとヘン。
・下宿の娘(当時高2)がちょいと色っぽい。
・隣の部屋の下宿生(大分大学1年生)が困った奴で、毎晩麻雀や飲み会に
  無理矢理(後半は結構喜んで)誘い込まれる。

と、まぁ様々な不安要素があったわけでして、それぞれの不安要素は、それぞ れ現実問題として、具現化し、いろいろな問題が引き起こったわけで…。
(詳細はゴメンナサイ。割愛します。)

学校の勉強など、するはずもなく、成績急降下。
下から数えた方が早い成績で、最初の頃は目をかけてくれた先生も、1年生の 夏頃には「問題児」として扱われていましたね。

この怠惰な下宿生活に転機が訪れたのが、秋の文化祭。

毎年、僕の高校の文化祭では、市内の文化会館(2000名ほど収容できる大ホー ル)を借り切って、コンサートが丸1日開催されていたんです。

僕の高校は、「かぐや姫」の 南こうせつ や 伊勢正三 を輩出した高校と しても有名で、フォークシンガーを目指す生徒もかなり多かったんですね。

僕はたまたま、この文化祭のコンサートの舞台裏担当に任命され、楽器の搬入 搬出や、幕の上げ下ろし、マイクテスト、出演者の誘導などなどを行ってたん です。

このコンサートでは、プロなみの腕前を持ったスゴイ先輩たちが、かぐや姫や 陽水、拓郎、ビートルズ、チューリップ、アリス、その他当時流行っていたニ ューミュージックのコピーを演奏し、またもちろん、オリジナル曲を披露した りしていました。

この模様を舞台の袖から、ズーっと間近に見ていた僕は、すっかりそのパワー に魅せられてしまい、

                 「よーし!俺も来年はこの舞台に立ってやる!」

と、問題児生徒にも、ひとつの目標がメラメラと燃え上がっていったのです。

翌日、書籍・参考書なども古本屋に売り払い、なけなしの小遣いと併せて1万 円ほどの資金で、フォークギターを質屋から早速調達しました。

そして、下宿の環境も変えなければならぬ!とクラスの友人に頼み込み、 急遽その友人宅2階の一部屋を借りて新たな生活をスタートさせたのでありま した。

<<  前のコラムへ 次のコラムへ  >>
 
バックナンバー一覧へ