釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第132話> 「新卒二期生 君和田昌代の巻」   2007/07/17  
 
仙台の国分町(こくぶんちょう)。幾千の飲食店が集積している、東北でいち ばんの繁華街だ。出張で仙台に宿泊するサラリーマンは、必ずといってよいほ ど足を伸ばす。仙台の美味しいお酒と料理を堪能し、明日への英気を養うため だ。

西暦2001年5月某日。僕はこの国分町にある『おおみ矢』という日本料理のお 店の個室にいた。接待ではない。新卒採用の最終面接を行うためだ。

面接の相手は、新卒二期生となる君和田昌代(以降、キミワダ)である。

キミワダは当時、東北大学の5年生。大学のある仙台市内に住んでいたのだが、 なぜか東京の下町(佃)にあるパフを応募していた。

一次面接、二次面接、グループワークと、キミワダは選考を通過してきた。そ れまでは毎回、東京まで出てきてもらっていたが、最終面接では、僕が仙台ま で行くことにした。

およそ面接会場としては相応しくない料理屋の個室。お膳には刺身やら焼き魚 やら、美味しそうな料理が次々と運ばれてくる。

しかし、この面接らしくないシチュエーションが功を奏した。僕はキミワダと 様々なコミュニケーションをもつことができた。本来、面接では聞いてはいけ ないことになっている家庭の話、プライバシーの話も、多数聞かせてもらった。

おかげで、普段のキミワダからは伺うことのできない内面的なもの(芯の強さ や、その背景にあるものなど)を知ることができた。きっとキミワダは、未整 備なパフのなかでも頑張ってくれるだろうと思った。

ただ一点、よくわからなかったのが「パフへの本気度」。どうしてパフなのか、 パフでなければならない理由は何なのか、それがどうしても見えてこなかった。

理由は簡単だった。キミワダは、就職活動をほとんど行っていなかったのだ。 特に何か執着するものがあるわけでもなく、やりたいことが明確にあるわけで もなかった。

もちろんそれが悪いわけではないのだが、超零細企業であるパフを就職先とし て選ぶなら、「だからパフなんです」という理由を、もっと自分で見つけて欲 しいと思った。

そこで、キミワダには「内定を出すための条件」を言い渡した。それは「就職 活動をすること」。もっといろんな会社を見て回って、それでもやっぱりパフ がいいと思えるのなら、ぜひ入社して欲しい、と伝えた。

それから1ヶ月。結局キミワダはパフを選んだ。いろんな会社を見て回ったの かというと、どうやらそうでもなかったようなのだが……。

ともあれ、他の内定者とともに、7月下旬からパフで働き始めた。キミワダの 場合は、9月までの夏休み期間は東京で働き、それ以降は、地元の仙台で働い てもらうことにした。

仙台には会社を創業する前から親しくしている同業者(株式会社エムジョイ) があり、そこに机をひとつ借りて、仕事をさせてもらった。

キミワダは、東京でも仙台でも、それぞれビックリするほどの行動力を見せた。 「普通は行かないだろう?」というような企業へのアポイントを臆することな く取りまくり、訪問しまくっていた。ものごとへの執着やこだわりがないぶん、 行動を抑制するものが何もなかったのだろう。

入社後のキミワダも、随所でその独自のキャラクターを発揮していった。本業 の営業でももちろんそうなのだが、いちばん僕が印象に残っているのは、イベ ントでのキミワダだ。

司会のアシスタントを行う、天然ボケキャラの可愛いお姉さん役を、見事演じ きった。舞台袖の「めくり」を、「じゃーん♪」という掛け声でめくるキミワ ダに魅了された学生や、企業の人事担当者は多かったのではないだろうか。

そんなキミワダも、パフで過ごしてもう丸6年。途中、体調を崩したりして辛 い時期もあったのだが、無事乗り越えてくれた。キミワダは、パフをぽわーん と明るくしてくれるキャラクターであり、絶対に欠かせない存在だ。

さすがに、「じゃーん♪」という声を聞く機会はなくなってしまったが、いま だに社内での天然ぶりは健在だ。

今年の12月、パフ設立10周年記念のイベントが、銀座の中央会館(銀座ブロッ サム)で開催されることになっている。キミワダは、10周年記念の実行委員で もある。

個人的な希望としては、ぜひキミワダには、舞台の司会を務めてもらいたい。 そして、天然の「じゃーん♪」の復活を期したい。

ということで85番目の出会い。新卒ニ期生のキミワダこと、君和田昌代との 出会いでした。
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