釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第124話> 「パフ自身の初めての新卒者採用(その1)」   2007/05/14  
 
パフが初めて新卒者採用(の活動)を開始したのは、2000年6月。会社を設立 して3年目。そろそろ次年度(2002年度に向けた新卒者採用)の商品企画をま とめ始めなければならない季節だった。

当時のパフには、僕と、経理や総務(というより雑務)を担当していた家内の 二人しかいなかった。あとはシステム関係の仕事を手伝ってもらっていたMさ んとOさん。そして、デザイン関係の仕事を手伝ってもらっていたFさん。こ の総勢5人が事務所に出入りをしていただけだった。

あ、もうひとりいた……。小学校3年生の女の子が、午後3時前後になると必 ず事務所に現れていた。赤いランドセルを背負って「ただいまー!」と言いな がら事務所のドアを開けて入ってくるのだ。そう、我が娘が、自宅に帰るより 先に事務所に帰ってきていたのだ。

当時パフの事務所は、創業時の新富町から月島・佃島界隈(正確な住所は佃) に移転したばかりだった。移転の理由はふたつ。ひとつめは、当時、鍵っ子を 強いられていた娘のためだ。せめて事務所くらいは自宅か小学校のそばに置い ておき、学校が終わったらば、事務所に気軽に顔を出せるようにしておこうと 思ったのだ。実際、理想的な物件が見つかり、小学校と自宅の中間点に位置す るところに事務所を置くことができた。

そして、もうひとつの理由が「社員採用に踏み切るため」だった。創業時の新 富の事務所はとても狭く、小さな事務机が6つ入っただけでパンパンになるよ うなところだった。自分と家内などの身内だけで仕事を続けていくのならば、 そのくらいの大きさでも良かったのかもしれない。しかし僕は、パフをクギサ キ商店で終わらせるつもりはなかった。どこかのタイミングで、きちんと正社 員採用を行って、徐々にでも会社を拡大したいと考えていた。その「正社員採 用のタイミング」が、2000年の6月だったのだ。

社員を採用するだけの経済的余裕があったわけではなかった。ただ、2年間事 業をやってきて「なんとかなりそうだ」という感触は得ていた。

そのいちばんの根拠は、お客様の顔ぶれだった。たった設立2年の会社とは思 えないくらいに、社会的信用力と影響力の大きな優良な企業にお客様になって いただいていた。取引社数は20社にも満たない程度だったが、すべての企業と 濃く深いお付き合いができていた。

これは自分がやってきたことや、やろうとしていることが、間違いではなかっ たのだ、という大きな自信になっていた。このままの路線でやっていけば絶対 に業績を伸ばせると思った。

しかし、「なんとかなりそうだ」とはいっても、足元のキャッシュは不足して いた。社員を採用すると、いやでも給料を払わなければならなくなる。自分や 家内のような身内だけなら、会社にお金がなくなれば給料を受け取らなければ それで済むのだが(ご飯が食べられなくなるので、実際にはそんな気軽なこと でもないのだが、苦笑)、社員に対してはそういうわけにはいかない。「なん とかなりそうだ」ではなく「絶対なんとかなる」というレベルまで持っていか なければならなかった。

そのために、『大規模な公募増資』という資金調達の計画を進めていた。公募 増資が成功すれば、約4千万円のキャッシュを得ることができる。たとえ半年 間、売上があがらずに収入がゼロだったとしても、生き延びることのできるお 金だった。この公募増資が成功することを見込んで、僕は事務所の移転と社員 採用を決心したのだった。

さらに「社員採用は『新卒者採用』でいこう!」と決めた。新卒者をゼロから 鍛え上げ、彼らと一緒に会社を築いていこうと思った。会社の文化を創り継承 していくのは新卒者の役目だと考えていた。それに、万一、パフが倒産するな どの憂き目にあったとしても、優秀な新卒者なら、その後いくらでもやり直し がきくと思った。僕の楽観思想の最たるものかもしれないが……。

パフには当時から、2万人~3万人程度の会員学生がいた。この会員全てが言 うなればパフへのエントリー者である。人気企業ランキング上位の会社と遜色 ないくらいのエントリー者がいるのに、みすみす放っておく手はない。絶対に ワンサカと応募者が集まってくれるものと信じていた。

2000年6月初旬。パフの事務所移転が完了した翌日が、パフの創業以来初めて の会社説明会の日だった。

(「その2」に続く)
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