釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第87話> 「元祖インターンシップOくんとKくん」   2006/08/21  
 
パフの創業一年目、パフには二人のインターンシップの学生が働いていた。二人とも現役の大学4年生。就職活動を終えた直後から、パフで働いてくれることになった。

ひとりは獨協大学のOくん。もうひとりは、国士舘大学のNくん。ふたりとも、とても会社とは呼べない状態の会社=パフで、一生懸命働いてくれた。

何をやっていたかというと、「営業」の仕事だ。何の実績もないパフの就職サイトを企業に売り込むために、日夜たくさんの企業に営業訪問していた。

報酬(給料)は極めて安い。にもかかわらず、朝9時から夜10時くらいまで、毎日毎日、どうしてこうも懸命に働けるのかと、雇い主であるはずの僕自身が不思議に思ったくらいだ。

しかし悲しいかな、当時のパフには商品力がなかった。営業しても営業しても、企業の人事担当者からはケンもホロロ。ほとんど相手にしてもらえなかった。

それでもOくんとNくんは、めげずに営業を続けた。涙ぐましい努力を重ねてくれた。

営業先の企業リストを集めるために、就職情報会社が首都圏で開催している合同説明会に出入りしながら、人事担当者の名前を一社一社一人ひとり地道に調べたりしていた。自分の大学の就職部にこっそり忍び込み、求人票のリストを書き写したりもしていた。

その甲斐あって、何件かの受注が得られるようになった。売上も二人で数十万円ほどは上げられるようになった。

本当に二人ともよく働いてくれた。よく一緒に焼肉を食べに行って、会社の夢を話したりしていたことも覚えている。

しかし残念なことに、ふたりとも最後は悲しい別れをせざるを得なくなった。会社の資金繰りが、抜き差しならない状況に陥ってしまったのだ。

インターンシップの報酬程度は払うことができたのだが、当時働いていた他の従業員の雇用を守ることができなくなってしまい、それに伴って、彼らも辞めることになってしまった。

もう8年も前のことだ。Oくんには、以来、一度も会っていない。今ごろどうしているだろうか。きっと立派なビジネスマンとして活躍していることだろうと思う。

Nくんは、つい最近、パフの事務所を訪ねてくれた。ベンチャー企業に転職し、営業リーダーとして頑張っているらしい。

創業一年目のころのパフは、いま思い出しても、辛いことのほうが多かった。こうしてコラムに書こうとしても、気が重くなって筆がうまく進まない。

しかし、今こうしてパフが続いているのは、OくんやNくんといった、苦労を共にしてくれた仲間がいたからこそだ。ここには書けなかったが、その他にも一緒に死闘を繰り返してくれた仲間たちもいた。もういちど、あの頃のメンバーだけで集まって酒を飲んでみたいと、しみじみ思う。

ということで、今回は、創業一年目の従業員を代表して、インターンシップの二人、OくんとNくんを、素晴らしき出会いの57番目と58番目でご紹介させてもらいます。
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