釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第35話> 「ゼミの先生は、脱サラ助教授 (後編) 」   2005/07/25  
 
僕の大学時代のゼミの先生。上原征彦先生は、当時36歳。考えてみたら、今
の僕よりずいぶん年下だった(これってケッコウ不思議)。

でもアタマはムチャクチャ良く、いつも先生の授業を聞くたびにポカーンとし
ていた。

先生は学生時代、アイスホッケーにのめり込んでおり、そのせいで歯のほとん
どがガタガタしたり、折れたりした状態だった。36歳という若さであるにも
かかわらず、しゃべるとフガフガしていた。

大学卒業後、日本を代表する大企業に就職し、しばらくはおとなしく仕事をし
ていたものの、満たされない自分に気がつき退職。日本の流通業を研究してい
るシンクタンクに入った。そして、マーケティングという実践的学問と出会い、
教職を目指すことに。

そしてやってきたのが僕の大学(明治学院大学経済学部)だったというわけだ。

そんな先生だから、他の教授連中とは、ちょっと雰囲気が違う。反骨精神があ
る。大学の批判もケッコウ口に出して言ったりする。民間企業の事情にも精通
していた。

実際、大学の講義を行うかたわら、多くの企業のマーケティング顧問をしてい
た。その関係もあり、ゼミ生の多くは、先生の顧問先企業に就職できたりして
いた。

僕は、不真面目なゼミ生で、大学4年生のときは、ほとんどゼミに出席してい
ない。いずれこのコラムにも出てくると思うが、あるアルバイトに熱中してし
まったためだ。

そんな僕なのに、先生は僕を見捨てることはなかった。「卒論だけはちゃんと
書きなさいよ」とは言われていたが…。

また僕は、4年生の夏になっても就職活動を一切行っていなかった。そのこと
についても先生は気にかけてくれ、自分が顧問をしている某製薬企業を僕に紹
介してくれた。ほとんど「コネ」のようなもので入社を前提とした紹介だった。

しかし、こともあろうに僕は、先方との面接後に入社を断ってしまった。先生
の顔を潰してしまったわけだ。僕は、あるベンチャー企業を就職先として選ん
でしまったのだ。先生はそのことについても「釘崎くんらしくていいじゃない
か。製薬企業のことは気にしなくていいよ。うまくごまかしておくよ」と言っ
てくれた。

先生はマーケティングの学界のなかでも実はすごい人で、世界的なマーケティ
ングの大家、フィリップ・コトラーの「マーケティング原理」の翻訳を日本で
最初に手がけた人なのだ。

赤坂のクラブにも、よく連れて行ってもらった。フガフガしながら店のお姉さ
んを口説いたりしてる姿は、とても微笑ましかった。

ということで28番目の出会い。僕の大学時代のゼミの恩師、上原征彦先生で
した。

#先生は現在も、明治学院大学の教授を務める傍ら、多方面にわたる国の委員
#や公職などでも活躍されています。

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