釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第26話> 「はとバス (中編) 」   2005/05/23  
 
時給420円。これが、僕が大学2年生になる直前の春休みから始めた、はと
バスのアルバイト代だった。

いまの相場から比べると、とんでもなく安いと感じる。24年前の相場と比べ
てもかなり安めだ。当時の学生アルバイトの相場は、だいたい500~600
円程度だった。

ところで、この「はとバスの車掌」という仕事。全員が男性のアルバイトで占
められていた。

え?女性は??あの「発車オーライ♪」と明るい笑顔を乗客に振りまいてく
れるのはいったい誰??

と、僕は最初不思議に思ったものだったが、謎はすぐに解けた。女性の乗務員
は確かにたくさんいた。でも彼女らの職業は「バスガイド」。車掌ではないの
だ。

僕らアルバイトがやるのは「車掌」。「バスガイド」は女性社員の仕事。何が
違うのかといえば、バスガイドはキチンと東京の名所・旧跡の説明(ガイド)
を行うのだが、車掌はガイドをやる必要がない。運転手の助手と、乗客の世話
(例えば気分が悪くなった人の介抱とか)だけをすれば良いのだ。

安いお客さんには「車掌」。高いお客さんには「バスガイド」という区別だ。
安いお客さんというと語弊があるが、つまりは、ガイドを必要としないお客さ
んという意味だ。

例えば外人さん。バスガイドは外国語を喋れないので車掌で十分なのだ。例え
ば商店街や会社の慰安旅行の貸し切りバス。おっちゃんやおばちゃんの酔っ払
い旅行など、車掌で十分なのだ。

そんなわけで、車掌は男性のアルバイトのみ、ということだったのだ。

春休みは、箱根や富士山への外人ツアーとか、子ども会のキャンプの仕事とか、
それなりに面白い仕事をやらせてもらえた。

春休みが終わっても、大学に通いながら、かなりの密度で、この車掌のバイト
を行うことが出来た。

人形劇の練習が終わったあとの夜9時ころから翌日の授業が始まるまでの間に、
結構仕事が入ってくるのだ。

自分の空いている時間を、はとバスの運行管理部のスケジュール表に書いてお
けば、そこに管理部のおっちゃんが仕事を割り当ててくれる。僕はワリとおっ
ちゃんに気に入られていたので、他の連中よりも高い確率で仕事を割り振って
もらっていた。

でも仕事はキツイ。深夜の送迎バスの乗務のあとバスの洗車。その後仮眠室で
3時間横になったあと、午前5時に都内のホテルに配車。外人の乗客をピック
アップして成田空港まで送る。その後別の外人ツアー客を成田でピックアップ。
また都心のホテルまで連れて行く。

なーんてことを毎日のように繰り返していた。自給420円とはいえ、拘束時
間が長いので結構いい給料になっていた。

自分で言うのもなんだが、僕は勤務態度も良く、運転手の受けもよく、管理部
のおっちゃんたちからの評価も高かった(なにせ無遅刻無欠勤だった)。

この車掌のバイトを始めて8ヶ月ほど経ったある日のこと。バイト代をもらい
に管理部を訪ねたら、「クギサキ君さ、ちょっと相談があるんだけど」と呼び
止められた。

「クギサキ君、宝塚の仕事があるんだけど、やってくれない?」

おっちゃんは、いきなりこう切り出してきたのだった。

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