釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第14話> 「浪人時代のおんぼろアパート恵荘(めぐみそう)   2005/02/14  
 
いろいろと紆余曲折のあった高校生時代だったが、結局僕は大学に進学するこ
とにした。

「せっかく大学に行くのならば、やはり東京だ!」

僕はそう思った。ミーハーなのかもしれないが、首都東京に対する憧れがあっ
た。また下手くそながらも、シンガーソングライターの真似事をしていたこと
もあり、東京に行けば「歌手デビュー」の可能性だってあるぞ、などと結構真
剣に思っていた。

こう思って受験勉強を真面目にやろうと思い始めたのは、高校3年生の晩秋。
受験まで、あと2ヶ月ほどしかなかった。

ところが僕の当時の成績では、行ける大学が東京にはなかった。
(というか、国公立大学以外では六大学くらいしか大学名を知らなかった)

落ちることを前提に大学を受け、見事(!)不合格(もちろん奇跡が起きるこ
とを信じてはいたが…)。結局、一年間の浪人生活を余儀なくされた。

浪人生活を地元の大分で行うのか、それとも東京に出て行くのか……。

僕の中では、明快な結論は出ていた。もちろん「東京に出て行く」方だった。

親に金銭的な迷惑をかけることにはなる。我が家は、ハッキリいって貧乏。

それでも、「できる限りお金を使わずにアルバイトをしながら受験料や入学金
も自分で貯めるので…」ということで、親にお願いして東京に出してもらうこ
とにした。

東京に出てきて住みはじめたのが、きょうのコラムのタイトルにある「恵荘」
というアパート。

四畳半一間。日当たり一切なし(昼間でも真っ暗)。トイレ共同。当然風呂も
シャワーもなし。壁は薄く隣の物音はビンビン。下水の匂いもぷんぷん。

もう、これでもか!というくらいに、酷いアパートだった。でも、家賃だけは
安くて1万円ちょっと。この値段なら、雨露が防げるだけでも立派なものだ。

「住めば都」とはよく言ったものだ。

僕は受験料や入学金を稼ぐために、夜勤のアルバイトをずっと行っていたのだ
が、恵荘の「昼間でも真っ暗な部屋」は、夜勤明けに昼寝をするには絶好の環
境だった。

下水の匂いすら、みじめな浪人生活を脱却するための不屈の精神を養うには、
プラスに働いたのかもしれない。

恵荘。場所は文京区根津。根津神社から徒歩10分ほど千駄木の方に歩いたと
ころにある。不忍(しのばず)通りから道をひとつ隔てた細い道に面していた。

僕の18歳から19歳にかけての一年間を過ごしたボロアパート。素敵……で
はなかったかもしれないが、忘れることのできない棲家だった。

余談。

10年ほど前、今あの恵荘はどうなっているんだろうと気になって、根津まで
行ってみたことがある。恵荘はすでに取り壊されており、跡地には立派なマン
ションが建っていた。なんだかとても寂しい気持ちになったことを覚えている。
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