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  <第01話> 「1997年12月12日はパフの誕生日」    
~はじめに~

えー、本日から、パフという会社ができてから今日にいたるまでの道程を、 みなさんに物語風にお伝えしていきたいと思います。

この物語は、今年(注:2001年)の8月まで連載でお届けしていた「パフ創業物語」の続編と してお読みいただいても興味深いのではないかと思います。

(「パフ創業物語」は http//www.puff.co.jp/sogyo/index.html にバックナンバーがあります)

▼これから会社探し・シゴト探しをする皆さんに、「カイシャ」や「ビジネス  社会」っていうものの、あるひとつの側面を理解していただくために…。

▼将来、会社を起してみたいという人に、励ましと脅かしを与えるために…。

▼単なる就職活動の「息抜き」として…(実はこれがイチバン!)。

この物語を書き綴っていきたいと思っています。
どうぞ、つまらなかったら、いつでも読み飛ばしてください!(笑)

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1997年12月12日(金)。

パフはこの日、会社として正式に成立した。

資本金1130万円。東京都中央区新富の小さな貸しビルのワンフロアに事務所を置く会社である。

事務所の広さは、40平方メートル程度しかなく、机を5~6個と打ち合わせ用のテーブルをひとつ置くと、もう足の踏み場もないくらいに狭いオフィスであった。

創業時のメンバーは、社長兼営業担当のボク。
システム開発担当のOくん。

管理・経理担当のYさん(実はボクのカミサン)。

の3名のみであった。

開発担当のOくん。

とりあえず1年間は、パフのシステムの開発やWebの立ち上げを手伝ってもらうということで、パフの事務所にフルタイム詰めてもらうことになっていた。
Oんは自分で有限会社を有していたので、正社員ではなく、業務委託契約という形式をとっていた。そして彼にはパフの取締役も兼務してもらっていた。

このOくん、元々は、ボクが以前運営していた「登龍門」という就職サイトを、ともにゼロから立ち上げた仲間である。

ただ彼も独立志向が高く、「登龍門」立ち上げ後まもなく会社を辞めてしまい、ボクが独立を決意した頃には、フリーSEとして働いていた。

彼の働きをたいへん評価していたボクは、会社設立を思い立った時から彼を説得し、創業時の仲間として引きずり込んだのだった。

管理・経理担当のYさん。
数年前までは、あるメーカーの経理担当をしており、事務能力には高い適性があった。
会社にとって、日々のお金の出入りの管理はとても重要な仕事。 請求や支払いがスムーズに行われないと、会社は信頼を失い、すぐにつぶれてしまう。

かといって、会社を作っていきなり経理マンを雇うほどの余裕もない。
安い給料で正確な経理事務を行える人材は、Yさんをおいて他には中々いなかったであろう(というか見つける気がなかったのだが…) 。

ともあれ、この3名が、実質的な創業メンバーであった。

創業の決心をしたのは、ほんの2ヶ月前の10月。

ほとんど思いつきに近いような勢いでの創業の決意であった。

「よくもまー、たったの2ヶ月で会社をつくっちまったもんだ…」

正直言うとこんな気持ちであった。

会社を作るまでは、猪突猛進、「会社を作る!」という目標に向かって突っ走ったボクであった。

が、いざ会社ができたこの時=97年12月12日。
具体的な事業構想なんて、ほとんど固まっていない。

いったいぜんたい、明日から何をやって食っていこうか…。

突如として襲ってくる不安を、設立祝いの祝宴の酒で、実は必死にごまかそうとしていたのであった。
(大丈夫ですか?シャチョー! つづく)
 
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