「没頭すること」が、人生を少しずつ変えていく
作成日:2025.6.2
こんにちは。パフの田代です。
本日は、最近仕事をしていて思うことを一筆してみたいと思います。
仕事に追われる日々。締め切り、会議、メールの嵐。不思議ですよね、技術革新によって、ビジネスの生産性は格段に向上されているのに、忙しさは変わらない。むしろ、余裕が生まれるどころか、スピードアップが進み「もっと!もっと!」が強くなっているようにも思えます。
だからこそ私は言いたい。
「タスクをただこなす」のではなく、「仕事に夢中になる」ことで、
世界の見え方が変わるのだ、と。
没頭する。
それは、何かに夢中になって時間を忘れること。趣味や遊びの中でよく聞く話です。でも、仕事はどうでしょう。最近は没頭していると残業規制がかかったり、そもそも仕事に没頭するなんて筋違いだという風潮もあるような気がしています。しかし、私は仕事において“没頭”こそ大きなブレイクスルーを生み出すと考えています。
没頭とは、意識が一つの対象に深く集中している状態です。目の前のことに全神経を注ぎ、気づけば数時間が経っている。そんな経験、きっと誰にでもあるはず。メールもスマホの通知も気にならない。雑音がすっと消える。むしろ、その瞬間が、もっとも「自分らしい」と感じるかもしれません。
なぜ、没頭が大切なのか。
それは、没頭することでしか得られない“質”があるからです。
どれだけスキルを磨いても、表面的にこなしているうちは限界があります。でも、没頭しているときは違う。細部に気が向き、目の前の課題が立体的に見えてくる。アイデアが自然と湧き、工夫が生まれ、成果物にも魂が宿る。そこには「自分なりの仕事」が息づいている。
さらに、没頭は周囲にも伝播します。真剣に取り組む人の姿は、周囲を刺激します。上司や同僚、お客様に対しても、「この人は信頼できる」と自然と思わせる力がある。つまり、没頭することは、自分自身の成長だけでなく、チームや職場の雰囲気にもよい影響を与えるのです。
とはいえ、最初から「没頭」できるわけではありません。むしろ、最初は「どうせこの仕事は…」と距離を取ってしまうことも多いかもしれません。ですが、目の前の業務に自分なりの問いを立てたり、ほんの少しだけこだわってみたりすることで、徐々に意識が深まり、気づけば没頭の入口に立っていることもあります。
「やらされている仕事」が、「やりがいのある仕事」に変わる瞬間。それは、外から与えられるのではなく、自分の中にある集中力と好奇心が火を灯すのです。
振り返れば、私自身、成長できたと感じるときには、必ず「没頭した時間」がありました。というか、毎日没頭しています。深夜や早朝まで資料をつくった日、地道な企業分析に数日をかけた時間、目の前の人の課題に全力で向き合ったプロジェクト…。どれも一見、地味で大変な作業でしたが、その中で何度も、「仕事って面白いな」と思えたのです。
仕事は「俗人的」であるべきではない、とよく言われますよね。仕組化し、誰でも対応できるようになるのは強い組織を作る上で必要なプロセスですし、私も大賛成です。ただし、極めて逆説的ですが、仕事のやりがいや達成感は極めて俗人的で、自ら作り出すものであるということも忘れてはなりません(ここを見誤ることが多いと感じています)。仕組みという「型」に活用しながら、いかに自らの創意工夫や味付けをしていくか。その行為そのものがタスクではなく、仕事なのではないかと思うのです。
忙しい日々の中で、「時間が足りない」「もっと楽しくしたい」と思うこともあるかもしれません。ですが、その先にあるのは、淡々と過ぎていく毎日ではなく「自分が生きている」という実感が大切であり、そのキーワードが「没頭」になるのです。
今日という一日を、ちょっとだけ深く潜ってみる。
没頭することで、仕事は作業から表現へ、
義務から喜びへと、少しずつ姿を変えていきます。