釘さんの100の出会い プロフィール
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  <第112話> 「講談社の大平さんと村上さん(その2)」   2007/02/19  
 
前回に引き続き、昔のメルマガに連載していたコラム『パフ涙の自転車操業物 語』の転載から始める。自分自身、久々に読んだのだが、思わずこみ上げてく るものがある。


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1999年3月2日。

地下鉄有楽町線の護国寺駅を降り、出口階段を上がりきると、目の前に新築 の講談社本社ビルがそびえ立っていた。

1Fの受付で面会の手続きを済ませ、最新の雑誌や書籍を展示している3F のショースペースで、人材開発部の大平さんを待つことになる。

5分ほど待ったであろうか。小脇にファイルを抱えた、ボクよりひと回りほ ど(年齢が)上と見受けられる方と、年齢はボクよりやや上なだけだろうが、 お腹はひと回りほど大きい方……。2名の男性がエレベータから出てきた。


「パフの釘崎さん…ですか?」まずひと回りほど年上の男性の方が声をかけ てきた。(あ、この人が大平さんだな!)

「は、はい。釘崎です。あ、大平さんですか? ど・どうも初めまして!」

「はい、大平です。ようこそいらっしゃいました。ささ、どうぞこちらへ」 と、通されたのは、とてもお洒落なカフェテリア風の社員食堂だった。

「釘崎さんは、飲み物は何がいいですか?」

「あ、ありがとうございます。じゃ、あのーコーヒーを…」


一見こわもてに見えた2人だったが、とても親切なもてなしを受けて気持ち がずいぶん和んだものだ。

大平さん自身がコーヒーを席まで持ってきてくださり、その後、型どおりの 名刺交換をした。


「あらためまして。わたくし、パフの釘崎と申します」

「講談社人材開発部の大平洋です」「同じく人材開発部の村上潔です」


大平さんは部長、村上さんは副部長の肩書きだった。

聞くところによれば、ちょうど、2000年春の定期採用のための応募書類 が出来上がったところで、資料請求希望者1万名以上の学生に対して、これ から書類の発送作業をしなければならない、という時期だった。

約1時間くらいだったろうか。大平さんと村上さんから、講談社の採用の現 状を聞かせていただくと同時に、現在の就職・採用環境に関する様々な意見 交換を行った。

結局最後まで、パフの営業っぽい話はまったくなしで、世間話を延々としに いったような感じだった。

ただ、話をした後は、なんとも言えぬ爽快感があり、初対面であったはずの お二方だったが、まるで10年来の友人に再会したような、そんな錯覚さえ 覚えるような面談だった。

ボクはこの日まで、大手マスコミ・出版業界に、どうもある種、偏見という か誤解があった。

誤解……というのは、放っておいても多くの学生が応募してくる業界であり、 学生を集めるというよりは、排除するほうに腐心している業界だと思ってい たきらいがある、ということだ。

そして質の高い学生の獲得には、全然苦労などしていないのだろうな、と思 っていたのだ。

つまり、パフがビジネスとして入り込む隙など、まったくないと思っていた のだ。

ところが、話を聞いてみるとそんなことは全くなく、自社の採用だけにとど まらず、学生全体、会社・社会全体の就職・採用問題に関して、強い危機意 識・問題意識を、少なくともこの講談社の2人は持っていたのだ。

自分の浅はかな先入観を恥じるとともに、今日のこの面談がその先入観を木 っ端微塵にしてくれたことが、やけに嬉しかった。


「じゃー、釘崎さん。これから我々は採用の実務で忙しくなりますが、ぜひ また落ち着いたら遊びにいらしてください。今日はとても楽しかったですよ」


これまた丁寧な言葉でエレベーターまで見送っていただいた。


地下鉄有楽町線での帰り道。


「うーん。講談社か…。なんとかパフの協賛企業になってもらえないかなー。 でも、講談社にとってパフに協賛するメリットって……」

ない頭をひねりながら、いろいろと策をめぐらすボクであった。

(さて。次回の展開は?…つづく)


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実はこの『自転車操業物語』では、その後の(講談社との)展開については、 さほど詳しく触れていない。次回からはこの物語の後日談を中心に書いていこ うと思う。
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